私は別にそこまでゲームオタクという訳ではないが、小学生や中学生の頃は人並みにはゲームをしていた。
ゲームをする際に、私のメイン機であったのがPlayStation2である。PS2で遊んだ頃のゲーム経験の記憶が未だに色濃く残ってるせいか、私の中でのゲーム機はPS2で完全に止まっている。現在自宅にPS4はあるが今でも近未来の高スペックなゲーム機として、高嶺の花的な存在であるし、ほとんど遊んでない(金を無駄にしている)。
PS2で遊んで、記憶に強く残っているゲームには以下のような物がある(一部PS1のゲームもあり)
- サルゲッチュシリーズ
- クラッシュ・バンディクーシリーズ
- キングダムハーツシリーズ
- 桃太郎電鉄USA(他シリーズは一切未プレイ)
- ワンダと巨像
- ミスタードリラー
- I.Q.
この中で、「サルゲッチュ」と「ワンダと巨像」について紹介しようと思う。
1.サルゲッチュ
サルゲッチュは、ソニーコンピューターエンタテインメント(現ソニーインタラクティブエンタテイメント)が1999年を初出とした「サルゲッチュ」から続くシリーズ作品である。ナンバリング作品は1〜3まで出ており、それぞれのナンバリングで主人公は違うが、世界線は同一であり、前作の主人公や登場人物もちゃんと物語に組み込まれた形で出てくる。
ゲームの概要
高い知能を手に入れ悪さをする猿を捕まえる、という探索・捕獲をメインとしたアクションゲームであり、ステージが複数用意され、各ステージ毎に「〇匹捕まえる」という目標が設定されている。
このゲームの面白い所は、探索と発見後の追跡にあり、見つけたのは良いがなかなか捕まえられない猿もいる。そういう時に、様々なアイテムを使って、どうやって猿との距離を縮めたり倒したりするかを直感的に考え実行していく。そうして捕まえた時の達成感は、アクションゲームならではである。中には特定のアイテムを使わないと突破できないような仕掛けもあり、アクションパズルのような要素も盛り込まれている。
ゲームの概要はここまでにして、少しキモオタな話をしよう。
キモオタな話
このゲーム、1、2は遊べる主人公の種類は1人のみである。しかし、3だと2人のうち片方を選んで遊ぶことができる。
これ、小学4年生の双子なのである。遊んでた当時(小学1年生頃)は特に何も考えずに「へー、サヤカちゃんまあ可愛いやんけ」って感じで遊んでいたのだが、今になってキャラを見ると、「サヤカちゃん、小学4年生とは思えない可愛さとエロさじゃね?」と思うのである。サルゲッチュ3は完全にオタク向けコンテンツに成り果ててしまっていたことに最近気がついたのである。まあ言うて15年ぐらい前の話だから今更って話ではあるし、それに私は一向に構わないのだが。
可愛いのは画像を見れば分かると思うが(異論は認めない)、エロいってどういうこと?って人に解説しよう。
まず、画像の下半身の服装を見ると、スカートの下にスパッツを履いているのが分かると思う。小学4年生の活発な女の子の健康な足をよく表現している素晴らしいアイテムチョイスである。そして、一番の問題は、あのスカートの中、見えるのである。
ちょっと何言ってるのか分からないと思うがこれは事実である。実際に、階段とかに立たせてゲーム画面のカメラの角度を頑張って変えれば見えるのである。しっかりスパッツのラインが描き込まれている。
スカートの中のスパッツが見える事の魅力
スパッツを履いているのだから、スカートの中が見えたとしても、当然そこもスパッツなのである。しかし、しっかりスカートを履いている状態で見えているスパッツと、スカートの中に隠れているスパッツは別物なのである。スパッツによって引き締められている太もものラインがより広く見える事で、小学4年生の健康的な足がより強調され、それ即ちエロティシズムなのである。
このゲーム、必殺技として強化フォームみたいなのに変身できるのだが、その場合もスカートを履いている衣装ではばっちりスカートの中が見れる。まあスカートじゃない衣装でもミニパンツとか履いてるからそれも十分エロいんですけどね。
最初の立ち絵の時点でそこはかとないエロさは漂っているが、そこからさらにこのスカートの中の要素を盛り込もうと考え、プログラムを設計した人達は本当に天才であり変態であると思う。初めて遊んでから10年以上経ち、大学生になった私にこんな気づきを与えてくれるとは、本当にとんだ天才である。ありがとうございます。
以上になります。犯罪者予備軍でごめんなさい。
2.ワンダと巨像
こちらもソニーコンピューターエンタテインメントから出たゲームで、2005年発売である。名作と名高いゲームで、PS3やPS4で再度販売していたりする。
ゲームの概要
主人公の少年・ワンダは、呪われし運命により生け贄にされて魂を失ってしまった少女・モノの魂を呼び戻すために、けっして足を踏み入れてはならない禁足地とされている「古の地」にある祠を訪れた。
その祠でワンダは、大いなる存在である『ドルミン』の天の声により、少女の魂を戻す方法を教えられる。それは、祠にある「16体の石像」と対になっている、古の地に存在する「16体の巨像」を倒すことだった。ワンダは愛馬アグロと共に「古の地」を駆け回っていく。
このゲームは、巨像を倒すことにのみ内容を特化させており、果物やトカゲを食べて体力アップなどのおまけ的な要素はあるが、巨像と戦う以外に、ストーリー上できる事がほぼ皆無である。ザコ敵や中ボスなども全く存在しない。
このゲームをさらに独特なものとしている特徴として、広大なマップのどこかにいる巨像を探すのに、剣の光コンパスのように使うのだが、その剣の使い方とマップ以外にほとんどヒントが与えられないというものがある。だだっ広い草原に放り出されて、「コンパスと地図はこれね。じゃあ後は頑張ってね」って言われているようなものなのである。道に迷ってイライラする事が何度かあった。
巨像は多種多様で、陸を歩くもの、海を泳ぐもの、空を飛ぶもの、モグラのように地面に潜るものなどがいる。大きさも様々で、「巨像」と呼べるような大きさではないだろ、ってやつもいる。
このゲームが「名作」と言われる理由はなんだろうか
このゲームは、巨像を倒すことのみに集中してシステムが構築されており、それ以外の要素は極限まで削がれている事は先程説明した。実は、ストーリーによる世界観の描写も結構少なく、結末の部分でワンダ達がどうなるのかがなんとなく示されるぐらいしかストーリーがある箇所がない。まあこれによって、プレイヤーは常に巨像について考えを巡らせるぐらいしかすることが無くなるのである。
探している最中は、巨像は一体どこにいるのか、その巨像はどのような形状でどのようにして戦うのかについて考えるだろう。そして巨像と相見えた時、この巨像はどのような攻撃パターンか、どうすれば倒せるかを考えながら巨像をじっくりと観察するであろう。
それほどまでに考えを巡らせ、眼に焼き付けた巨像を倒した瞬間、その巨像の全てが終わる時、我々プレイヤーは一体何を考えるのであろうか。
作中ではワンダの心境は描写されない。各プレイヤーがそれぞれに考え、それぞれに巨像への思いが浮かぶ事で、ほとんど説明されないストーリーに、プレイヤー自身の価値観というストーリーが付与されるのではないだろうか。
また、結局あそこのあの描写は何だったの?という説明も全くしないのがこのゲームである。人によっては、物語の真相が示されず、訳が分からなくてつまらないと思う人もいると思うが、明確な物語が示されないことによって、物語に幅を持たせることができ、奥の深い作品になるのだと思う。
身も蓋もなく言えば、人それぞれに好きな解釈がやばいぐらいにしやすいという事であるが、だからこそ、自分好みに解釈してこのゲームに好意を持ち、名作であると言う人が多いのではないだろうか。
実際にプレイしてほしいのでネタバレはしないが大事な要素なので示唆だけしておく
最後、16体倒した後に何が起こるのか、是非プレイしてその目で確認してほしい。16体もの巨像を倒したからこそ感じるものがそこにある。そして、最後の最後までプレイヤー自身に全てを委ねるスタッフの精神がとても辛い。
また、このゲームの監督のシリーズ作品として、「ICO」、「ワンダと巨像」、「人喰いの大鷲トリコ」がある(世界線が同一であるかは不明)のだが、任意の1作品に他の2作品を示すような要素が出てくるようなので、機会があればあと2作品もやってみたいと思っている。
記事のおわりに
思い出補正もかかっている部分もあるとは思うが、紹介した2作品は本当に面白いので、是非やってみてほしい。ワンダと巨像はPlayStationStoreでダウンロード版が出ているので、PS4持ちの人は買いやすいのではないだろうか。DSLiteやWiiにも思い出深いゲームがあることも書きたかったが、それはまた別の機会に。