A boiled egg

ぼちぼちいこか

2023年の始まり

 あけましておめでとうございます。

 

 年越しの瞬間は、ボケーっと「ゆく年くる年」見ながら迎えた。ベランダが大通り沿いなので「ハッピィーニュゥゥーイヤァァァァァ!!! フゥゥゥゥゥ!!!!!」って気が狂った声がめっちゃ聞こえてきた。

 

 2023年は、まず卒論提出と発表会が待ち受けている。これを乗り越えれば無事学部を卒業して4月から大学院生である。

 まだ卒論のデータ揃ってないし(追加観察しようねって助教に言われた)、卒論も全然書き進めてないけどな!!!卒論提出は今月末だぜ!!!

 大丈夫かこいつ?

 

 また、私にとって今年は本厄の年でもある。そう、今年で数え年で25、満年齢で24である。男です。

 「厄年なんて信じるわけないだろ」という人が現代ではほとんどであるだろう。私もまるっきり信じているわけではないし、必要以上に心配しているわけではない。この歳まで生きてきたという一つの節目として、今一度これまでの人生を顧み、これからを多少慎重に過ごしてみよう、みたいな感じで厄年をとらえている。

 人生の節目を意識するための理由付けとして、厄年をある程度意識してこの一年生活したいと思う次第である。迷信とは言え、一生の中で男性は3回、女性は4回しかやってこないビッグイベントなので、せっかくだし色々体験してみたいというのもある。

 今のところ厄除けのお守りしか授かっていないが、気が向いたら厄払いとかもやってみようかな。でも学生の身では初穂料高いんだよな…

 

 初詣は年越し直後に言った。人多くて禿げるかと思った。毎年、伊勢神宮と初詣に行った一番近所の神社のお札を買っている。崇敬神社は昨年は授かってなかったのだが、今年は春休みに帰省する時に実家近くの神社の授かろうかなと思っている。ご利益的に珍しい神社なので結構好きな神社だったりする。

 ちなみに神棚は持ってなくて、壁の高い位置のちょうどよくお札を乗せれるくぼみに祀っている。罰当たりだよなあ。身も蓋もなく言ってしまえば、こういうのって気持ちの問題ではあるけど。神棚掛けれるスペースがないんじゃ。

 

 神社の出店で玉こんにゃく食ってビール飲んだ。アツアツの玉こんとキンキンに冷えたビールが染み渡った。甘酒も飲んでほっと一息ついたりも。

 おみくじは末吉。「これまでの好調な運気がやや下向きに変わり、歯車がかみ合っていない感じを受けることが多くなりそうです。」って書いてあった。

 昨年好調だったか???論文紹介の準備では論文の内容理解できなさ過ぎて苦しんでたし、卒業研究も最初の方さぼりまくって助教に呆れられたり実際にさぼってたツケが回ってきてるんだが。

 あーでも大学院受かったり大学院内のプログラムに採択されたのは好調と言えば好調なのかな?だとしても総合的に見て不調だった気がするけどね(笑)

 まあこれもさっきの厄年の話と同じで、「まるっきり信じるわけではないけど、蔑ろにはせずに少しは意識して生活してみる」ってことですね。

 

 ちなみにこの年越しと初詣、全部一人ぼっちでの行動である。帰省してないので家族と一緒でもないし知り合いとも一緒じゃなかった。玉こんとビールのくだりも一人で飲んでたというわけ。

 まあ一人の方が圧倒的に楽だわ。ガヤガヤやりたい気分になることもたまにあるから、毎年一人は流石に嫌だけど。いざ年末が近づいてきて、その時どう過ごしたいと思っているかで決めればいいというスタンスでいる。

 

 明日は午前中気になる初売りに行って、メロンブックス冬コミの同人誌多少買って、午後は大学行って卒論データ収集進める予定。マジで切羽詰まってて発狂しそう。9月10月頃サボりまくってた自分自身のせい。初売り行ってる場合じゃないけど多少の息抜きはね。

忘年会シーズン

 忘年会シーズン真っ只中である。恐らく一昨日とか昨日あたりがピークだったんじゃないだろうか。私も昨日がサークルの忘年会だったのだが、繫華街に死ぬほど人間いた。人多すぎてめっちゃイライラした。まあ私もそこにいるわけだから、その人混みの一部に加担してるんだけどね。

 来週末も激混みしそう。ちょうどクリスマスと被ってるし。

 

 一次会の店で焼酎が飲み放題に含まれてなくて泣いた。代わりに二次会で飲んだ。

 

・忘年会後のカラオケでの話

 三次会ぐらいで行ったカラオケで、喫煙スペース入ろうとしたら扉押し返された。また入ろうとしてもやはり扉は開かなくて、「中に人がいっぱいいるからこれ以上入ってほしくないのかな?」と思ってしばらく待ってた。

 すると一分後ぐらいに男二人が喫煙スペースに向かってきて「あれ、もしかして部屋の中で何かやってました?」と言われて、「いや、入ろうとしたらなんか扉押し返されちゃって~」と返答したら、男二人が苦笑いしながら「すいませんちょっと待っててください!」って言って部屋に入っていった。

 そしてまた約一分後に、例の男二人と併せて男女二人が部屋から出てきた。彼らが出ていった後の部屋の中が若干甘い匂いがして、また、女の人が「ヌルヌルする」的な単語を発しているのが微かに聞き取れた。

 あ~そういうことね完全に理解した。部屋の中に人が入ってただけじゃなくて、まんこの中にちんこも入ってたってか。やかましいわ。

 ヤるんならもう少しプライベート性が高い所でやれよ。繫華街の近くにラブホ的なの沢山あるだろ。カラオケ入って金ケチるぐらいだったらとっとと帰って自宅でやれ。一億歩カラオケでやるとしても、喫煙スペースは他の人が入ってくる頻度割と高いから危険だろ。まあカラオケルームでヤると罰金とか最近はあるし、気持ちは分からなくもないが。分からなくもないけど、私自身は童貞なのでやっぱり分からないかも。

 クソカップルのせいですぐにタバコ吸えなくて少しイラつきはしたが、久しぶりにこういう類のものに遭遇できて面白かったので、まあ許した。

ブルーアーカイブ Vol.2「時計じかけの花のパヴァーヌ」編 第2章「友情と勇気と光のロマン」

 このブログではブルアカについて紹介したことはなかったが、2021年の4月あたりからやっている(サービス開始は2021年2月)。

 現在やっている唯一のアプリゲーム。バンドリもスクフェスも飽きて全部アンインストールした。

 ブルアカの世界観は、プレイヤーが「キヴォトス」と呼ばれる都市*1に「先生」*2として赴任し、そこで「生徒」と交流を深めていくという至極健全で青春に溢れたものである。一部の生徒が死ぬほどスケベだったり、重火器ぶっ放すのが当たり前の価値観しか持ってない生徒ばかりだったり、生徒の肉体は少し銃で撃たれるぐらいだったらなんてことない耐久性*3であることなどに目を瞑れば、とても健全なゲームなのである。

 

 そんな「ブルーアーカイブ」のメインストーリーは、舞台となる学園や扱う内容ごとにVol.1~Vol.4に分けられている。数字の順番は時系列順ではなく独立しているので、どこから読んでも問題はない。先生が、学園や生徒の抱えている問題をその内容ごとに別個に解決していっている、というような感じ。現在はVol.4までだが、今後の展開次第でさらに増える可能性はあると思う。Vol.1とVol.3は(一応)完結済み。

 

 そして先日、Vol.2の「時計じかけの花のパヴァーヌ」編が約一年ぶりに更新され、第2章「友情と勇気と光のロマン」前編が追加、また12月7日の今日、後編が追加された。更新をずっと待ち望んでいたので、ブルアカ生放送で更新情報が発表されたときは、嬉しさのあまり発狂してしまった。ゲーム開発部の天童アリスが一番の推しです。よろしくお願いします。

 

 ここから先はネタバレを含むので、ブルアカやってるけどまだ読んでない先生はブラウザバックしてもろて、ブルアカやってない人は早くインストールして先生になってストーリー読みましょう。

 

 

前編

 前後編全ての話を読み終えて、「ブルーアーカイブ、めっちゃ信用できる」とまず思った。ただし先生達を一度絶望の底に追いやったキム・ヨンハ、お前は許さない。絶対に清渓川に沈めてやる。

 今回の「時計仕掛けの花のパヴァーヌ」編第2章追加の一連の悪質さ(いい意味で)って、追加直前にショートアニメを公開してるところから始まるんだよね。

 このアニメの日常感のせいで「ゲーム開発部サイコ~。第2章でも元気な彼女達が見れるぞぉ^~」ってなってしまうのがよくない。そのあとの第2章前編追加で、1話で一瞬不穏な雰囲気だすものの、すぐに日常パートに戻るのも罠である。7話で日常が全て崩れ去ったのを悟ったときはガチでしんどかった。モモイが意識不明のままベッドに横たわるスチルでどれほど絶望したことか。あまりの急降下と絶望感にアンインストールしようかなと一瞬だけ思った。

youtu.be

 「とてつもない絶望を味わわせる」というのはエデン条約編でもやってたことだし、そもそもメインストーリーはどれも重い内容ばかりだけど、今回は「かなり力の入ったショートアニメとそのEDとして新曲も追加」「そこでオタク達を喜ばせた後に、本編追加で絶望の底に叩き落す」という流れだったのが悪趣味すぎるのである。こんなのどっかの誰かの毒ガス訓練じゃん。

 

 前編最終話でアリスが言う「アリスは…勇者、ではないから…」もとてつもなく心に突き刺さった。「魔王」であることを突き付けられ、これまで夢見ていた「勇者」を手放す。アリスの人格形成のほぼ全てはゲーム知識からなので、アリス自身そのことにどれほどの絶望感を持っていたのかは想像に難くない。このセリフの前に、勇者の証である「光の剣」の電源を落とされたのもかなりショックが大きかった。そんなにアリスを追い詰めないでくれ…

 これせいで、第2章追加PVの「アリスは、勇者になりたいです!」の意味が180度変わってしまうのだから許せねえよなあ。あとショートアニメ新曲の「わたしたちのクエスト」の歌詞の意味もなんとなく変わって聞こえるようになってしまったし。

youtu.be

 

 タイトルが「友情と勇気と光のロマン」なので、「友情と勇気」で困難を乗り越えてその先にある「光のロマン」を掴んで物語は締めくくられるんやろうな~という期待と、エデン条約編の所謂「ブルアカ宣言」があるからパヴァーヌ編も最後はハッピーエンドであるはずだという気持ちがあったので、なんとか前編の絶望感による自殺は免れた。

 

 

後編

 前編の絶望感のまま年を越す可能性も十分に考えられたので、前編追加の2週間後に後編追加は助かりすぎた。

 

 ストーリーを読んだ先生はお気づきだと思うが、後編のセリフで「ブルアカ宣言」を彷彿とさせるものがいくつもあったのが印象深かった。

・エリドゥ潜入前の作戦会議

モモイ「正直、アリスが「魔王」だろうがなんだろうが、そんな事どうでもいいの!」

モモイ「まともなエンディングですらない!最悪だよ!

・アビエシュフ装着トキとの負け戦後

ミドリ「…こんな…こんなバッドエンドは…絶対…絶対に…!

ネル「んなもん納得できっかよ!!」

 他にもあったかもしれないが、いずれにせよ「ハッピーエンドじゃなきゃ嫌だ!」という想いが「ブルアカ宣言」に通じているなと感じた。

 

 トキがアビエシュフを装着するシーンは本当にかっこよすぎた。装着というかもはや変身。息つく暇なく次々と流れていく変身シーンのスチルが、緊張感を伴った疾走感があり、つまり何が言いたいかというとやっぱりかっこよすぎた。早くトキを実装してくれ。

やべーぐらいかっこいい

発狂しそうなぐらいかっこいい

かっこよすぎて語彙力失った

 チヒロ曰く「最新鋭の演算機能で強化されたその性能は、未来を予知し確定する事さえ可能とする」とのことだが、それってつまり「ラプラスの悪魔」を作ることに成功した…ってコト!?どの課金アイテムをどれだけ購入して、どの生徒をどんな風に育成して編成すれば総力戦でチナトロ入れるかも演算してくれ。

 

 ネルがトキをエレベーターに追い込んだ時のネルの顔、そこまでの流れと合わせてマジでイケメンすぎた。本当にいい顔してるんだよなあここのネル。

 

 エイミがヒマリを助けにきたときのセリフは尊すぎて発狂しかけた。ブルアカは何度私を狂喜乱舞させれば気が済むのか。特異現象捜査部の、エイミはヒマリの言動に半分呆れてるけど能力面では絶対的な信頼を抱いている、相棒的な関係性が好きすぎる。

 

 序盤のユズの「チート相手へのハメ技」のセリフの回収も、どっかで来るとは思っていたがいざ回収されたら激熱だったし、アカネの「私たち、まるでゲームの主人公みたいですね」に至ってはVol.2のタイトル回収と言っても過言ではないぐらい端的にこの「パヴァーヌ編」全体のテーマを表しているように思える。

 

 リオのやり方は感情的には納得のしがたいものだけど、合理的ではあるのは間違いなかったと思う。アリスのヘイローを破壊したら暴走して予期せぬことが起こるかもということは考えられるものの、実現可能性を考えれば破壊することが最適であると判断するのはまあ分かる。ただ、そこで誰の手も借りずに一人で突っ走ってしまうのがリオの強みでもあり弱点でもある、というのはヒマリも言っていたことである。合理的な判断するにしても、勝手に行動して敵を多くしたら、いざこざが増えて結局合理的じゃない余計なことまでやらなきゃならなくなるし。

 エリドゥが、Keyに人格支配されたアリスに乗っ取られそうになった時、自分を犠牲にしようとしたリオに対して、先生が以前のトロッコ問題の会話を引き合いに出して

「レバーを引く人が、見落としたものがあるんじゃないか」

「本当に周囲に手を差し伸べてくれる人がいなかったのか」

「私は、全員で力を合わせて「全てを救う」選択肢を選びたい」

と言ったのは、リオの弱点をしっかり自覚してもらい、今度こそは先生達を頼ってほしい、一人で抱え込まなくても助けてくれる人はいっぱいいる、という想いがあったからではないかと思う。

 

 ちなみにKeyが言った以下のセリフも少し印象的だった

「無名の司祭の要請により、この地に新しい「サンクトゥム」を建立する」

「その到来で初めて、全ての神秘はアーカイブされ―」

 「神秘」というのはここに限らず他のメインストーリーにも出てくるワードで、恐らく生徒がそれぞれ持っている何らかの神性であると考えている。Vol.1とVol.3でその「神秘」を生徒の中から取り出したい的なことを言っていて、Keyあるいは無名の司祭は神秘を抽出し保管する場としてサンクトゥム、即ち神聖な場所を作ろうとしたのではないか。

 Keyや無名の司祭がやろうとしてたのは、明らかに「ノアの箱舟」なので、神秘のアーカイブ化とはつまり大洪水(キヴォトスの滅亡)後のための全ての種の保存ということであろう*4

 いやー、「ブルーアーカイブ」ってそいうことなのかよ。エデン条約編では「私たちの青春の物語」だったじゃんか。

 

 出てくる用語的に、メソポタミア文明がアリスのバックグラウンドの元ネタとして大きく関わってるのは間違いないね。アトラハシースとかエリドゥとかアビエシュフとか。アリスの光の剣もなんか元ネタありそうだけど分からん。私はヒイヒイ言いながらネットで調べたにすぎないので、メソポタミア文明に詳しい先生がいたら是非とも考察聞かせてください。

 

結末

 もう本当に「ブルーアーカイブ、ありがとう」ですわ。キム・ヨンハはやっぱり清渓川に沈める。

アリスの精神世界でのこのセリフすき

モモイ「たとえアリスが魔王だったとしても、そんなの関係ないよ!」

   「そんなの、ただのジョブにすぎない!」

   「自分が誰なのか、それは自分自身で決めるものだよ!」

   「アリスは、ただ自分がなりたいジョブを選んで転職すればいいんだよ!

 「自分の生き方は、自分で決めるもの。誰にもそれを指図できはしない」に通じるものがある。いいセリフですねぇ。この後のアリスのスチルがまた良いんだよね。このシーンで「わたしたちのクエスト」のoff vocalが流れるのがまた憎い。前編最終話後に絶望的な思いで聴いてた曲が、希望の曲として戻ってきてくれた嬉しさがあった。

 

 んでもって、最後は「わたしたちのクエスト」のon vocalが第2章のハイライトと共に流れて締めくくられて、終わった後はひたすらに放心状態だった。気づいたらSpotifyで「わたしたちのクエスト」をリピートしまくってた。

 

 あと、ストーリー読破報酬に「格闘ゲーム機」の家具があるの、エモすぎる。カフェにネルとアリスいれば対戦させられるじゃん。

 

 

おわりに

 これにて「時計仕掛けの花のパヴァーヌ」編は一旦幕を閉じた。アリスの本質的な問題は解決してはいないので、続きは書こうと思えば書けると思う。ラストの先生のセリフが不穏と言えば不穏*5なので、書いてほしいと思っている。

 アリスがまた苦しい目に遭うのを見たくないと思うのも事実。でも私の推しを掘り下げた話をとても読みたい。どうすればいいんだ。

 まあ現実的には次のメインストーリー更新はカルバノグだろうな。

 とりあえずキム・ヨンハはアリスの新衣装を実装させてください。アリス(水着)でもアリス(私服)でもアリス(勇者)でもなんでもどんとこい。そしたら清渓川に沈めるのはやめる。

 

*1:いくつもの学校が点在している学園都市のようなイメージ

*2:「先生」と言っても勉強を教えてるような描写は現段階では全くなく、生徒との関係性・役割的には「指揮官」あるいは「道徳の先生」と呼んだ方が適切である

*3:先生は銃で撃たれれば普通に大けがをする

*4:アリス(Key)の言っていたアトラハシースは、ノアの箱舟の「ノア」にあたる人物

*5:「勇者と仲間たちの冒険はこれからも続いていく—」「そう、いつまでもずっと—」に少し恐怖感を覚えた

dアニメストアを解約した話

 先々月末にdアニメストアを解約している。理由は単純明快で、「言うほどアニメ見てなくね?」と思ったからである。

 私のアニメ事情は、基本的にそのクールにやってる新作アニメをぼちぼち見るにとどまる。なので、わざわざアニメ専門サブスクを続ける理由がないのである。

 アニメの作品数が圧倒的に多いことがdアニの強みであるが、新作アニメに関してdアニ独占配信とかあまりないように感じる。だったら、今契約してる別のサブスクで補完できるんじゃね?と思ったのもある。dアニ最速配信は割とあるけどね。

 というわけでdアニを解約し、今契約している動画サブスクはアマプラだけになっている。今期アニメはアマプラとアベマで事足りてるので、しばらくはこの状況を続けようと思う。

 「dアニ解約するんじゃなくてアマプラ解約すればいいのでは?」は愚問である。映画も観たい。最近は映画館で観ることが多いけれど。あとアマプラ解約すると、お急ぎ便無料とかが使えなくなってしまう。

母性 感想

 12月1日は映画の日で、1000円で映画が観れる。というわけで、湊かなえの小説が原作の「母性」を観てきた。公開日2022年11月23日(水・祝)。ネタバレ注意。

 

 湊かなえ原作の映画はこの作品以外に「告白」を観たことがある。にわかなのでそれ以外は観てないし原作も読んだことない。「リバース」が面白そうだからいつか読みたいなとは思っている。

 

 

あらすじ(公式サイトより)

女子高生が遺体で発見された。その真相は不明。事件はなぜ起きたのか?

普通に見えた日常に、静かに刻み込まれた傷跡。愛せない母と、愛されたい娘。

同じ時・同じ出来事を回想しているはずなのに、ふたりの話は次第に食い違っていく……

母と娘がそれぞれ語るおそるべき「秘密」-

2つの告白で事件は180度逆転し、やがて衝撃の結末へ。

母性に狂わされたのは母か?娘か?

映画『母性』オフィシャルサイト (warnerbros.co.jp)

 

 

「母的」な母と「娘的」な母

 ラストで清佳が以下のようなセリフを言っている。

    「女には2種類いる。母と娘だ。」

 この物語を端的に象徴したセリフであり、ぐるぐると渦巻いていた私の思考に最後の最後で納得をもたらしてくれた。

 女性には母と娘の2種類いる、というのは社会的な側面から見て当然ではあるのだが、ここでは性格という意味での分類だろう。

 この物語的には、

「母」は娘に無償の愛を与え、守っていく人

「娘」はその愛をまっすぐに受け止め、その愛を返す人

 というように描かれている。ルミ子の実母は「母」の性格の持ち主であり、ルミ子自身は娘が生まれてもなお「娘」として生き続けたのである。母でもあるルミ子が、娘としてルミ子の母から愛情を求めたり与えることに固執する異常さは作品を観れば否が応でも分かるところだが、この異常さによって、ルミ子は「娘として生き続ける」という呪いにかかっているのだなと直感するわけである。

 この呪いの原因は何なのかについてははっきり明かされないので推察するしかないが、先に紹介したラストの清佳のセリフのように先天的な性格だったのと、娘的な性格に完全に固定させてしまう程にルミ子の母の愛情があまりにも溢れていたことが考えられるかなと。

 清佳の妊娠報告によって物語は締めくくられるため、清佳は「母」と「娘」のどちらとしての母親になるかは観客の妄想に委ねられるわけであるが、私は読んでない原作小説では次のような一文で締めくくられるようだ。

古い屋敷の離れに灯りがともっている。ドアの向こうにわたしを待つ母がいる。こんなに幸せなことはない。

 「ドアの向こうにわたしを待つ母がいる。こんなに幸せなことはない。」

 この部分がとてつもない気味の悪さを出しており、正直に言ってしまうと清佳も「娘として生き続ける」呪いにかかっしまっているのではないかな。

 同じく劇中で清佳が言う「母性は初めから備わっているわけではない」というのも、捉えようによっては非常に恐怖をもたらす。表面上は、母性を持った母にまっすぐに育てられても、その娘も母性を持った母になるとは限らないルミ子を表しているように見える。このセリフを「娘としての清佳」ではなく、これから「母になろうとしている清佳」が言っていたとしたら、「私にも母性が無いかもしれない、そんな中で私は母親になります」と言っているようなものである。もちろん客観的な話として母性の有無を言うのは分かるが、まさに母になろうとしている人物が言うのはちょっと話が変わってくるんじゃないか?

 

 

ルミ子に「母性」は芽生えたか?

 まず結論から言うと、全く芽生えてないと思う。というか、絶対芽生えてない。清佳か首を吊った時に娘の名前を初めて呼ぶので、「ようやく真の母親になれたか…(´;ω;`)」となりそうなものだが、それは全然違うのである。

 ルミ子の母が最期に言った「私の代わりに娘を愛して」が、呪いの言葉としてルミ子の根底にある。すなわち、清佳が死ぬことはルミ子の母の遺志を踏みにじることと同義である。そのような事態になりかけて必死にどうにかしようとした結果、久しぶりにポロっと娘の名前が出ただけに過ぎないのである。

 ルミ子に母性が芽生えてない理由として、清佳がルミ子に妊娠報告する場面も挙げられる。ルミ子の母の言葉と全く同じ文言でルミ子は清佳に祝福を向ける。同じ文言である時点で、どう考えてもその言葉を言われた時の母親のことを思い浮かべながら話しているし、元気のなさそうな声で祝福されても、清佳ではないどこか別のところに意識を向けているように見えて全然嬉しくない。

 その電話を終えた後に、ルミ子がかつての律子の部屋に入っていくのはもはや決定的である。この部屋は律子が家を出ていこうとした際に義母に閉じ込められた「母が子を守るための部屋」、即ち「子供部屋」である。自分は「娘」であることを最後まで意識していたことになる。

 前項でも述べたが、こんな母親なのに、なんだかんだ言いつつ最後で清佳はどこか嬉しそうな顔でいるので、やっぱり清佳も何かが狂ってしまっているのだろう。ルミ子、お前のせいだぞ。

 

 

「母の証言」と「娘の証言」どちらが正しいのか?

 基本的には「娘の証言」が真実であるように思える。しかし、あくまで証言。娘にとってはそれが事実であっても、「母の証言」と同様「娘の証言」も歪んだ認識をしている可能性がある。

 これは、これまで述べてきた「清佳も少しおかしいところがある」を踏まえての考えである。どちらの証言も正しくないとなれば、さらに証言が必要になってくる。キャッチコピーにある「物語は[あなたの証言]で完成する」とは、母と娘の証言を補完する第三者のさらなる証言を示しているのではないかと考える。

 「娘の証言」も歪んでいる可能性があることを考えると、自殺未遂の件も本当に死にたかったのか?という疑問が湧く。都合よく助かってるし、母を振り向かせるための単なる手段だったのかもしれない。

 あと、何に対しての「証言」かについては、序盤の自殺事件ではなく、火事のことだと思われる。火事のことを中心にして、その後のお互いの認識の差に話を広げたってところかな。

 

 

その他雑感

・最初の高2女子自殺が清佳じゃないってミスリード面白かった。物語に直接関わるような事件じゃなかったって気づいた時の落胆は少しあったが、ちょっとした叙述トリックを味わえて単純に楽しかった

 

・終盤でルミ子が初めて娘の名前読んで主要登場人物の名前が判明するの、「明日、君がいない」とか「カラフル」的なものを感じた。

 

・清佳が首絞められてるシーンで、「バトル・ロワイアル」で首にボウガンの矢刺さって死ぬ女子生徒思い出した。

 

・ちゃっかり田所哲史の不倫の件が無視されててウケる。まだ不倫続けてるんかな?だとしたら「父とも向き合えるようになった」であまりにも清佳がドライになりすぎるから、やっぱりなんやかんや不倫やめたのかな

 

・「学生運動の批判の対象は何でもよかった。日米安保条約反対でもベトナム戦争反対でも何でも。ただ内に秘めた漠然とした不満をぶつけたかった」みたいなくだり、つまり学生運動の対象はマクガフィンだったってことじゃん。ただの反抗期で草。学生運動しょーもな。

 

 

おわりに

 みんながみんな何か性格が決定的に狂ってて、その不協和音で予期せぬ方向に物語が運んでいくのはやはり面白い。物語の構造としてしてどの作品にもそれは備わっているが、それを不穏なものとして描いているものが好みだな。私も何か性格が決定的に狂ってるのかもしれない()

 この作品では「母と娘」というテーマでそれをやっているわけだが、私の母親がルミ子だったらしんどすぎて清佳より早く自殺決行しそう。そうじゃない母親に育てられたから比較して言えることではあるので、実際は判断しようがないが。

 「告白」観たときも思ったけど、やっぱ湊かなえヤバいですね。オチは捉えようには依るが、普通に性癖に刺さる。他の作品も滅茶苦茶興味湧いてきた。

すずめの戸締まり 感想

 新海誠が監督を務める最新作「すずめの戸締まり」を観てきた。公開日2022年11月11日(金)。

 

 

あらすじ(公式サイトより)

九州の静かな町で暮らす17歳の少女・鈴芽(すずめ)は、
「扉を探してるんだ」という旅の青年・草太に出会う。
彼の後を追って迷い込んだ山中の廃墟で見つけたのは、
ぽつんとたたずむ古ぼけた扉。
なにかに引き寄せられるように、すずめは扉に手を伸ばすが…。

扉の向こう側からは災いが訪れてしまうため、
草太は扉を閉めて鍵をかける“閉じ師”として旅を続けているという。
すると、二人の前に突如、謎の猫・ダイジンが現れる。

「すずめ すき」「おまえは じゃま」

ダイジンがしゃべり出した次の瞬間、
草太はなんと、椅子に姿を変えられてしまう―!
それはすずめが幼い頃に使っていた、脚が1本欠けた小さな椅子。
逃げるダイジンを捕まえようと3本脚の椅子の姿で走り出した草太を、
すずめは慌てて追いかける。

やがて、日本各地で次々に開き始める扉。
不思議な扉と小さな猫に導かれ、九州、四国、関西、そして東京と、
日本列島を巻き込んでいくすずめの”戸締まりの旅”。
旅先での出会いに助けられながら辿りついたその場所で
すずめを待っていたのは、
忘れられてしまったある真実だった。

映画『すずめの戸締まり』公式サイト (suzume-tojimari-movie.jp)

 

簡単な感想

 前情報は少ししか見てなかったので、偏見や変な期待なく観れた。「新海誠」ってだけで偏見持つほど私の性格終わってはいない。

 端的な感想を言えば、すっきりした内容で落としどころも良く、とても前向きな気持ちになれる作品だったと思った。東日本大震災から11年以上経った今、新海誠がその災害に対してどう向き合うようになったのかが、作品全体を貫くテーマとして存在しているように思われる。観る人それぞれの復興に対する価値観次第ではあるかもしれないが、少なくとも観て損はない作品だったと思う。

 死生観そのものや死者との決別に訴えかけてくる話は本当に弱いし好みだなあと改めて感じた。作中のメッセージを一般論にまで昇華してるとなお好き(場合によるが)。

 岩戸鈴芽めっちゃ可愛かった。平均的な日本人が好きそうなビジュアルやっぱり分かってますねえ。

 

以下ネタバレ

 

 

 

この作品に込められたメッセージについて

 作中に出てくる「ミミズ」がもたらす災厄は地震であるとはっきり言及されていること、終盤では鈴芽の生まれ故郷である宮城に向かい、そこはかつて震災を受けた場所であるということから、東日本大震災がバックグラウンドになっているのは明白である。映画の方では直接「東日本大震災」という言葉は使われていないが、小説の方では明確に「2011年に日本の東側で列島の半分が揺れるような大きな地震があった」と書かれているようだ(入場者特典のパンフレットより)。

 その東日本大震災をどう受け止めこれからを生きるか、というのが全体のテーマとしてあり、それに対するこの作品の回答は「犠牲者の死を受け止め、彼らとの思い出を肯定的に捉え、社会的関係を前向きに再構築していこう」であると私は考える。

 このことの作中での表れは、まず「犠牲者の死を受け止め、彼らとの思い出を肯定的に捉える」は、鈴芽の母を始めとした犠牲者達の想いの集約を聞く終盤のシーンに尽きる。そこのシーンで畳みかけるように出てくる「おはよう」「いってきます」「いってらっしゃい」は、彼ら自身のまだまだ生きたかったという想い、朝の挨拶によって構築されてきた様々な思い出として、遺族側の死の受け止めと思い出の肯定のきっかけになっている。正直言ってここのシーンはめっちゃ泣いた。

 死を受け止め過去と折り合いをつけたら、遺された自分がこれから生きていく未来を向いていかなければならない。そして生きていくためには、今を生きる人々と交流し支え合っていかなければならない。鈴芽が戸締まりをしに各地を旅する中で出会うその地の人々との交流や助け合いが作中で言うところのそれであり、「社会的関係の前向きな再構築」である。「助け合っていく」と言うといかにも復興のための綺麗事のように聞こえるかもしれないが、普通の生活においても少なからず誰かの仕事が他の誰かの生活を支えているのだから、別に特別なことではない。もちろんこの作品においては物語の背景上、前者の意味合いになることには違いないが。

 前を向くためには、自分の将来像を具体的に決めて、未来に向かっていくのだという実感を得ることも大事だ。鈴芽は看護師になりたくて、草太や芹澤は教師になりたいというのは、これを伝えるための要素であろう。なぜその職業かについてはあんまり意味はないと思う。

 この作品のキャッチコピーの一つとして「行ってきます。」がある(この記事先頭にその文言が入ったキービジュアルを貼っている)。このセリフは作中でも鈴芽が言っているが、「きっと明るい未来を向いて、生きていきたい」というニュアンスが込められているのではと私は思う。犠牲者達が言っていた「行ってきます」の方は「きっと明るい未来を向いて、生きていきたかった」なのではないかな。

 

 少し話は変わって、誰かを喪うということに関して「喪の作業」という心理学用語があるようだ。

喪の作業|EAP用語集|EAPのヒューマン・フロンティア (humanfrontier.co.jp)

 喪の作業は4段階あり、「無感覚」「否認」「絶望」「再建」のステップに分けられる。この作品では「再建」が最終的な物語の到達点、及びテーマに対する回答である。

 ここで注目すべきは、災害に対してどう向き合うかというテーマは、今作に限らず「君の名は。」や「天気の子」でも触れられていることである。

 特典のパンフレットでも言われていることの受け売りだが、「君の名は。」は「無感覚」の段階で、「天気の子」は「絶望」の段階、そして「すずめの戸締まり」の「再建」という、別個の作品間による「喪の作業」の動作が行われている。「君の名は。」では災害そのものを食い止めようとするため、喪の作業の直前か直後の段階であるし、「天気の子」では災害を絶望的なものとして受け入れている。他作品をまたいだ「喪の作業」を行い、その結果たどり着いく場所「再建」として今作があるというわけだ。だからこそ、ひねくれたオタク(私含め)は、「絶望」として終わった「天気の子」が性癖に刺さったのではないだろうか。

 これを踏まえて各作品の主題歌を聴くと、「前前前世」は「無感覚」時の衝撃を表していると言えるし、「愛にできることはまだあるかい」の歌詞からは、立ち直ることを諦めた「絶望」が汲み取れる。そして「すずめ」は「再建」をするためのレクイエムであると言える。

 また、今作単体でも「喪の作業」を鈴芽が行っている。「無感覚」はあまり描写が無いが、「否認」は母親はまだ生きているはずだと言っている幼少期、「絶望」はその後のショックによる記憶の欠落、そして記憶を思い出しそれを受け止めて周囲の人々と共に「再建」している。

 

 また、割と衝撃的だったのが、芹澤が「綺麗な場所だ」と言ったのに対し、鈴芽が「綺麗な場所?ここが?」と言っていたシーンである。あまりにも淡々と、なんてことは無いように話していて、うすら寒い感覚があった。

 これまでの新海誠の売りの一つ、というかむしろ最大のセールスポイントだった「美しい風景」を監督自ら否定している。即ち「美しい風景の中から湧き上がる何気ない日常」という考えはもう終わりであり、今作はやはりこれまでとは一味も二味も違うぞと感じた。大筋としては大団円なものの、若干の不穏さが隠されている。

 入場者特典のパンフレット中の企画書前文に「来たるべき厄災を恐れるのではなく、厄災がどうしようもなくべったりと日常に貼りついている、そういう世界」と書かれていることからも、日常を美しいものとして描くことの否定が示されている。

 そういったことの新海誠の心境の変化は、バブル崩壊や震災による廃墟化による寂しさを長年感じ続けてきたことによるものらしいが、それはとてもよく分かる。何に郷愁を覚えるかは世代ごとに違うだろうが、根底にある考え方は同じはずである。「美しい日常の否定」と言うよりかは、「美しいと思っていた日常を正しく捉えなおす」の方が適切かもしれない。

 観た直後の感覚として、とてもすっきりしていて感動的な話だなと思うと同時に、アホみたいに幸せを強調してるわけではなく、程よく苦い感覚があったのがとても心地よかった。どれだけ幸せを強調しても、亡くした人や過去は戻ってこない苦さは絶対残るから、それを上手いこと表現できていたのだと思う。

 

 

 

映像の疾走感・物語のテンポ感

 映像的な面において疾走感が気持ちよかった。それを特に感じたのは、キャラクターの背後をカメラ位置として走っている(或は乗り物に乗っている)場面である。確か他の新海誠作品でも似たようなものだったかもしれないが。観客である私も一緒に走っているかのような気分になったし、それによってIMAXに頼らない臨場感さえ覚えた(IMAXで観ていたが)。鈴芽のポニテが揺れている様でマジで萌えた。 空の定点カメラの早送りで時間経過を表現していたのは、流石に「ああ、新海誠だな」と思ったけれど。

 物語のテンポは子気味良く、変に悩んだりうだうだしたり女々しかったりせずに、スパッと決断して進んでいっててストレスが無かった。前作の「天気の子」の主人公が若干ウジウジしててイライラしてた記憶が少しあるので、それもあってのことだろうか。鈴芽も草太も、それ以外も、ちょっとだけ悩むけどすぐに「しょーがねぇなぁ(ガシガシ)」ってなるタイプのキャラだった。それ以外でも、回想長すぎ問題とかが全然無く、全てにおいて良いテンポ感を保ち続けていたように思う。あくまで冒険活劇というか、序盤から開錠・施錠のシーンを出していきなりタイトル回収しまくったり主題歌の「すずめ」少し流したりしたフルスロットルさがあった上で、後半も失速感あまり感じなかったのは、素直に構成や演出が上手いなと思った。素人だから変なことは言えないが、全力で序盤で惹きつけると、それを持続させるのって結構難しかったりするんじゃないのだろうか。

 しかし、ここまで述べた上で私が思うのは、逆に言うと「スピード感が良すぎて、余韻、特に映像美的な感慨にふける間がない」ということが発生しているように思う。前項の最後でも述べているが、新海誠は美しい風景の映像美を売りにしていたはずである。それをアピールするためには、時々はゆっくりと風景を眺めるシーンが必要になってくる。「天気の子」までは大なり小なりそういうシーンがあったが、今作ではそれらがほぼ全てそぎ落とされ、スピード感第一になっている。「ここが綺麗な場所?」というセリフだけでなく、演出的にもこれまでの新海誠を否定するという徹底っぷりである。そのスピード感は、単なる爽快感がある場面だけではなく、緊急地震速報で急に不安にさせる急転直下のような場面にも言えることである。

 

 物語中にはコメディな場面も時たま入っていた。人によっては「ギャグいる?」だとか「ちょっとギャグ多くない?」とうんざりするかもしれないなとは思う。ただ、前項で述べたように作品のメッセージとして「明るい未来に向けて生きていく」というようなことがあるため、明るく思わせる要素の一つとしてギャグがあるのではないだろうか。私はギャグがくどいとは思わなかったが、もしそうであるならば、ひょっとすると「ちょっとくどすぎるぐらいに明るく未来を向くのが丁度いい」という新海誠の意図があるのかもしれない。

 芹澤朋也が車で流してた曲は全部は知らなかったが、「バレンタイン・キッス」や「夢の中へ」は懐かしいなーって思った。どっちも私が生まれる前に出た曲だけど。曲選がいちいちその時の状況とマッチしてて、劇場で静かに爆笑してた。神戸のバーのカラオケでも懐メロ流してたね。曲名忘れてしまったけど。

 

 

聖地の一つに宮崎県

 宮崎しか詳しくないから、宮崎以外の聖地はできない。ので宮崎の話だけにする。言うてそこまで詳しいわけでもないけど。

 宮崎県出身の私にとっては嬉しい話である(幼稚園児の時に引っ越してきた転勤族なので、生粋の県民ではないが)。

 

・位置

 色々確認してみたところ、鈴芽が住んでいる「門波町」は架空の町だが、位置的には宮崎県日南市にあたることが分かった。主人公が"岩戸"鈴芽っていう名字だから、宮崎県舞台なら絶対に天岩戸神話がある高千穂町(宮崎県の北部)だろうなって思ってたのに。

 ちなみに私も今知ったことだが、「天岩戸」っていう地名や名称は、西日本を主として点在しているらしいので、天岩戸神話の場所は高千穂町ではない説も普通にあるみたいだ。地元贔屓というわけではないのだが、完全に高千穂町だけだと思っていた。

日南市 - Wikipedia

 

 またさらに、Googleマップと映像中の地図の位置関係的に日南市の油津港ではないかと思われる。

油津港 - Wikipedia

 

 ただ、門波町=油津港ではなく、色々な場所を混ぜてるらしい。ネット上の有識者によると、港の形状は門川町のものに似ているみたいだ。

門川町 - Wikipedia

 

 私の実家は宮崎市にあるので、日南市も門川町もあまり馴染みがないが、それでも地元の近くに見たアニメの聖地があるのは嬉しいものである。宮崎県は一部界隈ではアニメ聖地過疎地なことで有名らしいので。 

宮崎県にはご当地アニメがないの?舞台になった漫画・アニメのまとめ!|MIYAZAKI LOVE (miyazakisuki.me)

 日南市は確か昔家族で、油津港で二泊三日ぐらいで民宿泊まりながらシュノーケリングやら何やらやってた気がするな、そういえば。

 

 鈴芽の高校は、それこそ完全に架空のものだと思うが、港の形状的には門川町であることと教室から見えてた外の風景を考えると、門川高校の可能性もあったりするのかなあと。

宮崎県立門川高等学校 - Wikipedia

 

 踏切を通過していた電車は日南線のものらしい。車社会で生きてきたので全然詳しくない(電車やバスで通勤通学してる人自体は普通にいる)。作中の記憶おぼろげだけど確か一両編成だった。特急とか宮崎駅近辺に止まる電車じゃない限り、一両編成はデフォ。宮崎に限った話ではないと思うが。車社会人間だったので知らんけど。

駅別時刻表 | JR九州 (jrkyushu-timetable.jp)より画像引用

 

 余談だが九州には九州新幹線と西九州新幹線があり、どれも九州の西側を通っていて宮崎と大分がハブられていることは、九州ではあまりにも有名。でも大分は宮崎よりも比較的福岡に近いので、福岡への安価なアクセスのしやすさではあまり親近感は湧かない()。一応九州の東側にも新幹線通そうという案自体は存在するらしい。

赤と青以外は在来線 (九州新幹線 - Wikipediaより画像引用)

 

・宮崎弁

 これは本当に感動した。ほぼあれの通りである。都城市(宮崎市の西の方、みやこのじょうし)あたりは鹿児島寄りの方言になっているのだが、そこ以外は大体同じ方言が使われている。環などが使っていた方言は後者である。

宮崎弁 - Wikipedia

 訛りの程度も、年齢相応ですごくしっくり来た。宮崎にずっと住んでいる高齢者だったりすると、もっと訛ってたり特有の言葉を使いまくったりするが、40~50代以下は基本的にみんな大体は環ら程度の訛り方である。全国で公開されている映画なので、そこまで難しい宮崎弁にはしなかったというのと、実際の宮崎弁事情が上手いこと合致したというのもあるだろう。

 聞き取りの難度としては、宮崎にある程度住んでいれば全部理解できる、はず。生粋の宮崎県民ではないものの、10年以上は住んでた場所なので、流石に私も全部聞き取れた。一緒に観た友人は所々よく分かんなかったらしい。まあ全く宮崎弁触れたことない人には聞き取りづらいかな?ってのはあったと思う。

 宮崎弁に特有な名詞や動詞、形容詞は無かったと思うが、イントネーションや語尾は宮崎弁だった。イントネーションは言葉で上手く説明できないので割愛。各自調べてみてください。語尾は作中ではどれを使ってたかはあんまり覚えてないので、普通に例を挙げると、

 

「~やっつよ」(~なんだよ) 「単位落としそうやっつよ」

「~しちょっかいよ」(~してるからね、してるからだよ) 「あいつはゲームばっかしちょっかいよ」

「~やが、~が」(~だよ、(する)よ) 「それは明日の課題やが」「遅刻する(っ)が」

「~やとよ」(~なんだよ) 「俺が欲しいのは金と名声やとよ」

「~やと?、と?」(~なの?) 「何で大学行かんと?」(”ん”は打消しの意味)

 

あたりがパッと思い出せたやつ。3番目は確実に作中でも使ってた。3番目の2つ目の例文は、鈴芽が草太追いかけに、踏切から家に戻っていく時に友人に言われてたセリフ。

 完全な宮崎弁ネイティブではないから、上の方言一覧でもしかしたら誤用してるものもあるかもしれないのはご容赦ください。宮城に引っ越してきて、かれこれ6年近く宮崎弁ほとんど全く使ってないからなあ。

 

 これ以上は話が完全に脱線するので、この辺で宮崎紹介はやめにしておくけれど、私の過去記事で雑に宮崎のことを紹介してるのがある。お時間あれば是非。

boiler.hatenablog.com

 

 ちなみに、鈴芽の宮城の地元は宮城県石巻市「門脇町」ではないかと思っている。これについては私の完全な推測。作中の「門波町」とで”門”が共通しているので、もしかしたら?程度のものである。宮崎の方でも港の形が「門川町」で”門”繋がりだし。

 ひょっとしたら意図して"門"繋がりにしてる可能性も微レ存。後ろ戸は常世と現世を繋ぐ門みたいな役割を果たしているからね。

 

 

日本神話との対応

 これについては、他のブログ等でも散々考察されているのは容易に想像できるので、私なりの「誰がどの神と対応してるのか」を簡潔に紹介するにとどめる。

 この物語のモチーフになっているであろう「天岩戸神話」はあまりにも有名であるので、ここについての説明は割愛させていただく。

天岩戸神話|【公式】天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)|天岩戸神話|宮崎県|高千穂町 (amanoiwato-jinja.jp)

 

・岩戸鈴芽

 入場者特典のパンフレットで新海誠が「名前の直接のインスピレーションはアメノウズメノミコト(天鈿女命)」であると言っている。名前の由来になっているからといって、作中の役割としてもそうであるとは限らないが、まあそれでも鈴芽は天鈿女命かと。

 天鈿女命は、天岩戸の前で踊り騒ぎ、天照大神を天岩戸から出した芸能の神である。天岩戸=後ろ戸とすれば、後ろ戸の開閉(神話で言う天岩戸から天照大神を出すこと)に関わる鈴芽はやはり天鈿女命だと思われる。

神楽のルーツ!神々を沸かせた踊り子「天宇受売命」日本人なら知っておきたいニッポンの神様名鑑 | Discover Japan | ディスカバー・ジャパン (discoverjapan-web.com)

 

・宗像草太

 観てる最中はずっとスサノオノミコト(須佐之男命)だと思ってた。「宗像三女神」という神がいて(天照大神須佐之男命の剣をかみ砕いた際に生まれた女神)、これが一番有力な気がするが、他にも調べた結果個人的にはサルタヒコノカミ(猿田彦命)じゃないかなと。

宗像大社 公式ホームページ | 由緒 (munakata-taisha.or.jp)

 猿田彦命は、ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が高天原から葦原の中つ国に降臨する際に道案内をした神。また、異形の姿をしている。草太も鈴芽を導くような形で閉じ師の仕事をしていっていたし、椅子の姿になってしまっているので、猿田彦命とよく合致するのではないかと。

天孫降臨の道先案内人「猿田毘古神」日本人なら知っておきたいニッポンの神様名鑑 | Discover Japan | ディスカバー・ジャパン (discoverjapan-web.com)

 

・ミミズ

 最初はヤマタノオロチ(八岐大蛇)なんじゃないかって思ってた。さっきの、草太の須佐之男命説もそっから来てる(ヤマタノオロチ須佐之男命が倒した)。

 ただ、八岐大蛇にするにしては全然龍っぽくないし、枝分かれは八本以上あるので、多分違う。

 ここについてはあまり調べられなくて分からないのだが、地震ナマズは関係があるっていう迷信から来てるのではないかなと今は思っている。

 

常世

 高天原だと思いながら観てたけど、一向に神っぽいの出てこないし、人間社会の亡骸の方がよく出てきたから、やっぱりシンプルに「あの世」ってことなんだと思う。「常世は人によって見え方が違う」というセリフがあったが、作中で描かれたミミズや常世は、鈴芽視点のものだったと考えられる。

 

 

 日本神話のこと調べまくってたら頭パンクしたので、これ以外(ダイジンとか要石とか)はあとは自分で考察しといてください。

 

 

もしも序盤で鈴芽が後ろ戸に向かわずに、草太が閉め損なっていたら

 ここから先は完全にifの話でしかもゴリゴリの地学の話なので、興味が無ければ飛ばしてください。

 鈴芽にはミミズが見えていた(一度常世に迷い込んだ経験があるから)のだから、向かわないわけはないのだが、もしも「なにあれ怖~」で眺めるだけだったらどうなってただろうか。

 

 ミミズはあくまで地震のみをもたらすはずなので、そうすると「日向灘地震」あるいは「南海トラフ西端部を震源域(の一つ)とする南海トラフ巨大地震」が起こっていたのかなと思う。

 南海トラフ巨大地震と比べれば、日向灘地震は頻度は多いものの規模は小さめである。まあ今年の1月に震度5強の日向灘地震発生してるけど。日向灘南海トラフの一部なので、日向灘地震南海トラフ巨大地震の下位互換になるのは当然のことであるのだが。

 ただ、南海トラフ巨大地震は、トラフ全体が一斉に滑るわけではなく「部分的に巨大な滑りが発生」且つ/又は「トラフ内の複数の震源域が連動して滑っていく」ものであると考えられているため、大震災級の地震日向灘で起これば、それは「日向灘地震」ではなく「南海トラフ巨大地震」として扱われるはずである。

日向灘地震 - Wikipedia

南海トラフ巨大地震 - Wikipedia

 しかしミミズの描写から考えるに、可能性としては南海トラフよりかは日向灘地震かなと思う。恐らく、東京でのミミズの姿が本気モードって感じだと思うので、それと比べるとまだ大人しい、宮崎でのミミズは大震災級起こせるレベルではなかったのではないかと。関東地震兵庫県南部地震東北地方太平洋沖地震、過去の南海トラフ巨大地震あたりでは、東京の上空を覆うほどのフリスビーみたいな形だったのだろう。

 

2022/11/16追記

 小説版の方を今読んでいるが、現実の方では既に震度6弱地震が発生していたようなので、日向灘地震級の地震はあの時点でもう起こっていたようだ。だとすると、あれ以上放置していたら、南海トラフ巨大地震級になっていた可能性があるということになる。私が単純に序盤の内容をあんまり覚えていなかったために、間違った考察をしてしまった。

 

 

終わりに

 「災害の爪痕が何十年と残る中で、今それをどう受け止めるか」や「それを踏まえた上であなたはどのように生きていきたいのか」を問いかけ続ける作品であったなと思う。2011年はまだ小学生で宮崎に住んでいて親族も東北の方にはいないのだが、ニュースで様々な情報を見聞きはしたし、宮城に来てからは沿岸部の被災地を訪れたこともあるため、あの災害に間接的に触れてきた大多数の人々の中の一人として、「再建」の境地に到達することの意味について考えさせられた。

 まあ、あんまり東日本大震災を意識せずに、純粋なエンターテインメントやフィクションとして楽しむことも大事だと思う。震災を意識しすぎて過去に囚われていると、それこそ鈴芽の「いってきます」の意味に反するし、そうでなくとも過去に囚われすぎる生き方は嫌である。

 そのうち震災も、教科書的な歴史上の出来事として、そしていろんな作品のモチーフとして、当時を生きていない人々が物語を作っていくのだろうか。我々が、宝永噴火をモチーフとして富士山噴火の災害映画を作るようなノリになっていくかもしれない。ただ、そういう時代が来るとしてもまだ何十年も先ではあるだろう。少なくとも今の若い遺族が天寿を全うするまでの時間は必要そう。

 

 以上。終わり。岩戸鈴芽めっちゃ可愛かったから、制服姿と揺れるポニーテールを観るためだけに、もう一回映画館行きたいかもしれないけれど他にも気になってる映画ある。

2022夏アニメ見たやつ

 今期最後まで見た作品は以下の通り。ネタバレ注意。コロナの影響等で最終回が10月に押した作品がいくつかあったのでブログ投稿が遅れた。

 

 

 

 

 

異世界おじさん

 セガおじさんではないけど所々分かるネタがあって共感できて楽しかったし、分からないネタも「へーそうなんだ」で豆知識感があって面白かった。10数年前の時事ネタとかネット事情ネタもなんとなく分かってしまうのには郷愁と残酷さを覚える。

 異世界にいた頃のおじさんがヒロインとのフラグを、容赦なく無自覚にバキバキにへし折ってしまいには死体蹴りまでするの面白すぎる。今と20年弱前でオタク的文化そんな大きく変わったっけか?とは思うが、そもそも私もそこまでその文化に精通しているわけではないので知らん。取り敢えずツンデレの概念は確かに、ある時明確にそれがジャンル化されたっていう記憶がなんとなくあるな。ヒロインの中ではメイベルが今のところ好き。彼女の思考がどんどんダメニート化していったり感情が壊れていく様を見ると、保護して養ってやりたくなる。嘘、私も働きたくない誰かに養われたい。

 コロナの影響で放送一時中断、からの秋アニメで仕切り直しということなので、覚えてたら秋アニメ感想にもこれの感想書いとく。

 

 

 

Engage Kiss

 まず、ヒロインの作画が程よくエロかった。体の輪郭の描き方や色味が、透明感のある清潔さとエロさを兼ね備えていて、そいつらのバランスが良い塩梅でシコれるなと思った。

 主要ヒロイン3人(はそれぞれ違った意味で重い女として、主人公と彼女らとのラブコメも作品の醍醐味の一つとなっているが、個人的にはキサラが一番かなーと思っている。黒髪ロング好きの私としてはアヤノと悩んだのだが、色々加味してピンク髪ロングを選んだ。金髪ロングも可愛いけどぶっちゃけただエロいだけ。決め手になったのは、4話でおでん食べながら言った「別にいいよ、シュウ君の最後の女になれるなら」である。最後に愛されることに固執してるとか重すぎでは??良いですねえ~。

 ストーリーに関しては普通に面白かったし、極端なトンデモ展開もなかったので普通によくまとまっているなと思うものの、「普通」止まりである感覚が拭えない。というのも、新事実とかを出して次の展開に持っていく時の「伏線回収感」や「納得感」が薄いなと思いながら見ていたからである。特にこれはマイルズの正体が明かされた場面で強く感じた。

 ちゃんと辻褄は無理なく合っているのだが、後付け感が否めないなと。散りばめられた伏線をある場面に向けて回収するのに対して、散りばめられた様々な要素の辻褄と合うように新事実を提案しているような構造であるなと私は捉えている。両者は似ているようにも思えるが、前者は過去から現在への帰納的なもの・予めそこに収束するように設計されていたものに対し、後者は現在から過去への演繹的なもの・都合が合うように後から創出されたものである。前者には確かな納得感があるが、後者は一瞬ポカーンとするか或は「あーそういうセオリー使ってきたのね」みたいな別の意味での納得の仕方をしてしまうので、正しい納得感が薄くなってしまい後付け感さえしてしまうというわけである。まあ伏線回収の魅せ方って難しいんだろうけどね。

 ただ、納得感で言えば、12話ラストでキサラの手に記憶失う前の文章書かれてたのは納得感の塊だったかな。あの展開は素直に激熱だった。

 

 

 

シャインポスト

 キャラの体が生き生きと動いていて、作画良いな(小並感)って思う。顔芸多いの面白いし、表情豊かでキャラに愛着湧きやすかったのが一番の評価高かった。本編やらずに特番ばっかやらないでって後半滅茶苦茶思ってた。杏夏の激寒お茶目なジョーク嫌いだけど見た目は超好き。理王の髪の毛先だけ色変わってるの変な感じするけどメスガキ感は超好き。EDの曲調めっちゃおしゃれ。

 「切腹」って言ってたのってピンク髪の彼女だったのね。テロップよく見たら序盤の方から大橋彩香って書いてあった。最近キャスト欄ちゃんと見ないからなあ。

 最後の対バンの話は、二期への布石かゲームのストーリーの導入か。まあ後者だろうなあ。ゲームは今のところやる気はない。

 

 

 

邪神ちゃんドロップキックX

 クールを進める毎に、どんどんなんでもありになってて困惑してる。なんでもやりすぎてて、もはや何やってたか覚えてない整理がつかない。初音ミク昔の漫画風作画北海道巡り原作ではやってるけどアニメではやってない発言は覚えてる。これがクラウドファンディングの力か……4期の時は微力ながら支援してみようかなと考えていたりいなかったり。鈴木愛奈さんの演じる邪神ちゃんの、どうしようもないクズだけど変な愛着があって捨てづらいもの感がとてもいいなあと。邪神ちゃんが細切れにされてもミンチにされても製麵機に通されて食われても何も思わなくなった程度にはこの作品の世界観に侵されている。

 余談だが、この前北海道に旅行に行って、ついでに邪神ちゃん2期12話の聖地巡りした。温泉気持ちよかったし小樽ビール美味かった北海道旅行だった。

 

 

 

シャドーハウス 2nd Season

 シャドーハウス内の歪んだ秩序が、小さな疑念や綻びから徐々にあるべき姿の無秩序・混沌に変容していく様がとても心地よかった。

 特にそれを感じたのは、シャドーであるパトリックが、同じくシャドーであるケイトではなくその生き人形のエミリコに恋心を抱いてしまった場面である。シャドーが生き人形を、道具ではなく一人の人間として且つ恋愛対象として見るという、普通はシャドー同士が結婚するという生まれながらの価値観の破壊と変革が垣間見えた。生き人形を道具として見ていないというのはケイトやジョンもそうで、これもまた変革の一種であるが、パトリックには恋愛的な観点が含まれていることにおいて、両者の価値観の変革の意味には大きな差異があることは想像に難くない。

 それにしても、シャドーとその生き人形の関係性が毎度良いのよね。絶対的な主従関係にしろ対等な関係にしろ、その間に絶対的な信頼関係が必ずあるの尊すぎる。やっぱ自分×自分のカップリングなんだよな~~~~

 

 

 

メイドインアビス 烈日の黄金郷

 原作の方読んでたので内容は知ってた。相変わらずよくこんなえげつないこと思いつくよな作者。ミーティーのコピーのやつとか「コピー」の言葉で誤魔化してるけど、つまりは人(だったもの)のクローンじゃん。無理矢理成れ果てにされた人間の魂とその苦しみをいくつも複写してるってことじゃん。マジでボンドルドヤバすぎる。

 ワズキャンもヤバいことやってんだけど、ボ卿よりかはマシかなって個人的には思ってる。というか、ワズキャンのやべーエピソードって大体がしょうがなくてそうするしかなかったものばかりだと思うんだよね。

 まずイルミューイの新鮮な子供で作られた産地直送のお子様ランチは、倫理的には確かにヤバいけど、あれ食ってなきゃ多分全員漏れなく死んでたんだよな。倫理だけで生き残れるほどアビスは甘くないでしょ。

 あと、諸悪の根源である欲望の揺籃についても、これをイルミューイが持たなきゃそもそもお子様ランチが作れなかったという点において、やっぱり皆死んでたはずである。というか欲望の揺籃持たせようって最初に提案したのワズキャンじゃなくてヴエコだし。

 兎にも角にも結果論として救いようのない感じになってしまっただけで、その時その時で最善だと思う事をやっていただけなのである。ただ、ワズキャンは未来を予見してた上であらゆる行動をしていたということも勿論留意すべきで、これから起こる出来事を予見していながら欲望の揺籃をイルミューイに持たせた点において彼の狂気性は十分にあるだろう。まあ、そうだとしても結局そうすることでしか生存できないんだから、やっぱりワズキャンはそこまで悪くないと思うが。それに何もかもを予見できるほど万能でもなかったんだし、悪役の全部をワズキャンに押し付けるのは違うでしょ。

 ここまでワズキャンを擁護してきたが、リコに欲望の揺籃使おうとしてたらしいのは、流石に庇いきれないかな。そこから先は完全に自分の冒険のためだけじゃん。

 で、ボ卿の方がやべーやつって何で思っているのかと言うと、ボ卿は生き残るためにやったことではないからである。研究だ真理だ祝福だ言ってるけど、別にそれ無理してやる必要どこにもなかったよね。結果的にリコがプルシュカ白笛手に入れられて、なんかいい感じになってるけど普通にあたまおかしい。確かに探究という面においては、個人的な倫理観から見てもまあOKかな?面白そうな研究ではあるよね?と思わなくもないものの、生存においてやむを得ない・その時最善だと思う行動ではない。というかもはや意図的に死の方向に向かわせちゃってるから。死ななくても人間としての形は失っちゃってるから。生き残るためなら何でもしていいと言うわけではないが、この点においてあくまで生き残るため・冒険を続けるために行動してたワズキャンはまだマシなのかなと。

 

 パッコヤン(青髪単眼の成れ果て)が、上昇負荷で成れ果てになろうとしてるヴエコを階段から突き落としてパッコヤンが消えるシーンがめっちゃ切なくて好き。漫画でもアニメでもボロ泣きした。ガンジャ隊の頃2人仲良さそうだったもんな……

 マアアさんの人間時代について色んな説があるけど、私は言葉覚える前の赤ん坊説かなあと思ってる。ケツ汚いから幼児退行の願望があるおっさん説もあるけど、赤ん坊でもケツ汚いやつは汚いだろ。

 

 

 

ようこそ実力至上主義の教室へ 2nd Season

 気のせいかもしれないけど、少し作画良くなった気がする。

 櫛田の噛ませ犬感半端ない。久保ユリカは悪くないしむしろいい仕事してると思うんだけど、櫛田の裏と表の声色どっちもイライラするから早くボコボコにされてくれ。龍園が綾小路にボコボコにされてあっけなく降伏すんのマジで草。

 1期の内容あんま覚えてないからあれだけど、ラブコメ成分増えたかな?一期からの厨二的な臭さと二期で足されたラブコメのキツさのブレンドが、人によっては悪い方向に転がってそう。私はcv高橋李依のキャラ(名前忘れた)が色素薄くてロングヘアーでか細くしなやかな清楚さがあって好き。

 軽井沢は普通にめっちゃ可愛いと思うけど皆さんにあげます。というか、原作読んでないしアニメも言うほど真剣に理解しようとしてないから言えた立場ではない。

 綾小路が学校に通っている理由としては、「ホワイトルームの外の世界を見てみたかったから」で本当に合ってるんですか原作勢さん。まあ絶対他の理由もあるんだろうけど。

 

 

 

ラブライブ!スーパースター!! 第2期

 新規メンバーの是非論争については、私は別にどっちでもいいので介入はしない。基本的にあるがままで受け入れる。もちろん場合にもよるけど。ラブライブ熱はアニメ見る以外にはもう無いからって言う意味でもどっちでもいい。

 きな子の芋っぽいというか丸っこい感じ好き。メイもシンプルに見た目可愛いし急変する性格も見ていて面白い。

 葉月恋がゲーム沼にハマったことにより、廃人化するのめちゃくちゃ笑った。第二の園田海未、あるいは絢瀬絵里的なポジションになっちゃってるやんけ。

 かのんが留学するかも?って下りでラブライブ無印の展開を思い出したのは私だけではないはず。結局留学するってな感じになったから、そこはμ'sと差別化したかーって思ったらやっぱり留学無しになってもう爆笑。優勝して区切りついてるんだから留学展開にしてもええやんけ。なんで現状維持したがるw

 3期決定は最終話見る前は知らなかったのだが、ラストを見れば確信するよね。今まで劇場版確定演出はあったけど、これまでのシリーズのそれとは毛色が違ったという点で私は3期を確信したというところ。そのまま留学してれば劇場版の方になってたと思うけど。

 これまでのラブライブシリーズの学年間の関係ってそこまで壁が無い、あっても無くそうとするってのが恒例だったけど、スーパースターでは完全に先輩/後輩の上下関係が出来上がってるのが、違う所だなと思った。先輩は1年早くスクールアイドルをやってる身として頼れる行動をし、後輩はそれについて行こうと必死に練習する。その2つで悩み事を相談したり付き合いをするグループが分かれているのも、上下関係をより強調させていた。リアルな「部活動」としてはμ'sやAqoursよりもこっちの方が確かにこっちの方が忠実であるし、メタ的にも2期から参加のキャラとの差はあるので、この断裂はまあしょうがないかなと思う。人間関係的グループの構成人数が少ない分、カップリングを固定しやすかったり濃い関係を作りやすかったりするという狙いもあったりするんだろうか。3期で先輩/後輩の壁を無くそう作戦があったりしたら面白そうだな。

 

 

 

リコリス・リコイル

 「すごく楽観的で救いのあるガンスリンガーガールだと思った。記憶の奥底に「ガンスリみがあるけど、ガンスリみたいな結末にはならないって公式が言ってる」みたいなものがあるので、そこからこの一言がまず出てきた。

 最終話見終わった直後は、「千束殺すとかたきなと一生会えなくなるとか、今までの喫茶リコリコの日常のようには戻れないとか、そういう不可逆性を出してくれよ」と思っていた。が、今ではあの終わり方でも良かったのかなと思っている(個人的な好みでは納得してないが)。

 というのも、この作品の目指す方向が、EDに現れていると考えたからである。この曲の私の印象は「気持ちを加速気味に前に進ませ、なんやかんや上手くいって希望的な未来が待っている、いい意味で楽観的な曲」みたいな感じである。この明るさが逆に「先に待つ逃れられない運命的な出来事」を想起させもする(サビ後半のメロディーがなんかそんな雰囲気ある)のだが、所々辛い運命を匂わせつつも希望的に終わらせたという点において、この曲の主題は前者の方という事になるのだろう。EDで伝えたい事と結末を重ね合わせたということで私の中で納得した。

 ここからは結末の個人的な好みの話になる。ヨシさん以外誰も死なずに希望的に終わらせたのは良いとしても、もっと色々置かれる立場とか人間関係変化させろよと思った。ただ単に喫茶リコリコハワイ店になっただけじゃね?やってる事本質的には前とあんま変わらないよね。元に戻れる日常の可逆性は、安心感はあるという良さはあるが、それ日常アニメでええやん。決定的で不可逆な出来事が起こる作品でそれをやる意味ってのももちろん分かるんだけど。まあ、周囲の環境や関係の大幅な変化っていうのは、身近な人がそれなりに亡くならない限り無理なんかね。

 

 千束のいい塩梅で男っぽい言動が気さくさを出してて可愛いし、たきなは黒髪ロングの見た目でもう普通に可愛い。そもそもキャラ原案のいみぎむるさんが神。

 なんか百合百合騒がれてたけど、言うほど百合か?恋愛感情はほとんど含まれない大親友って感じにしか見えないぞ?千束を生かしたくて必死だったのとかは、親友として相棒として寄り添ってくれた尊敬する人を失いたくないからだと思ってる。仲良しの程度に依らず、女の子同士で普通に仲良くやってるだけで百合って言うんだったら、男性間の友情や信頼関係は全部ホモになるって138億年前から言われてるから。つまり全人類同性愛計画が始まってしまう。まあ百合の解釈は人それぞれだとは思うけど、私の解釈は「百合ではない」

 彼岸花に毒性があるの知らんかった。多分忘れてただけだと思うけど。何も知らなかったら私だったら彼岸花燃やして吸うの真似しちゃうかもな。自分タバコ吸うから余計にそういうのに抵抗ない気がするし。

 EDの入りが毎回神なのは言うまでもないですね。リコリコedのMADが一杯出回ってるけど、水素水のやつが私は一番好き。

 英弱なので、サブタイトルの英語のことわざ?は毎回Googleで調べてた。

 

 

 

咲う アルスノトリア すんっ!

 とりあえずよく分からなかった。みんな可愛い事しか分からなかった。ソシャゲの存在は知ってたけど、存在しか知らなかったのでなんとなくのゲームの概要すら知らないけど、ゲームやってたらある程度理解できるんかな。流石にゲームユーザーが1ミリも理解できないソシャゲアニメだったらヤバいか。

 学園の雰囲気や全体像もボヤっとしか分からなかったし、学園がそもそもどこに存在しているのかや、度々出てくる騎士は本当に彼女らを狙ってるという認識で合ってるのかどうか、聞く者ってなに?などなど、謎が多すぎる。最後に出てきたホログラムみたいに輪郭ブレまくってる奴とか本当に誰だったんだよ。ゲームの方で言う我々プレイヤーとか?

 ゲームやれってことですかね。ていうかこれ本当に1期で合ってるのか?「すんっ」って後ろに付いてるから、続き感あって微妙に不安になるんだよな。