A boiled egg

ぼちぼちいこか

幼少の我

幼少の頃をふと思い出す人はよくいるだろう。あなたは違う?話ずれるから一旦それ置いといてください。

 

てなわけで両親から聞いた事とか自身の記憶をたまに掘り返す。いくつか挙げてみよう。

 

まずなんといってもアホだった。今もある意味ではアホだが、生死に関わるというレベルでアホだった。

私は幼稚園年中まで川崎に住んでいたのだが、ある日幼稚園脱走して国道に飛び出した。そこがどんな道かは親からの話でしか覚えてないが、とにかくトラックがバンバン走る道路だという。担任の先生は泣きながら私を説教したという。本当に一歩間違えば死である、そらそうなるわ。自分の事なんだけど。そのほかにも彼女には大きな心配させまくったらしいので、いつかもう一度会ってしっかり話をしたい。

アホといえば、川崎に住んでた頃に撮った謎ダンスがある。奇怪な動き、歌、そして奇声。ガラケーで撮ったのでまだ残ってるかは分からないが、家族内では伝説として語り継がれている。

 

体も弱かった。酷い時は一年に4回ぐらい病気に罹ったらしい。

これははっきり覚えているのだが、胃に穴が空いて入院した時はお粥すら食べれず数日水しか口に出来ずにとても辛かった。その後お粥が解禁され相部屋のおばちゃんにケーキをご馳走になったのも覚えてる。ケーキ食った後吐いちゃったけど。

たぶん現代医療なければ死んでるだろうし、延命技術もすごいけど幼い命を救えるのもすごいなって。

 

あと階段の角で頭打って病院送りになった。歩き始めた頃ぐらいの年齢だったらしい。頭蓋骨が見えてたらしい。幼すぎるという理由で縫ってないので今でも十円ハゲがある。

弟も頭打って血出して病院送りになった。血は争えない。彼は縫ったのでハゲないけど。

 

小一でも授業突然脱走してたし、授業中椅子に登って謎ダンスやったりしてた。体育の時間にトイレ行って、漏らして下半身全裸で再登場なんてのもあった。自分で書いてて悲しくなってきた。

 

いろいろと懐かしい。とりあえず幼稚園の担任の先生にもう一度ちゃんと会って謝りたい。あの幼稚園潰れちゃったし親も連絡先知らないっぽいから難しいと思うけど。

 

数十年経ったら大学の頃も懐かしく思えてくるのかな。

 

全然関係ないけど、Twitterで二郎の写真見るたびに二郎食いたくなってくる。最近食ってないからなおさら。おわり。