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ぼちぼちいこか

英国王のスピーチ 感想

 今日、英国王のスピーチ(原題:The King's Speech)」を観た。イギリス・オーストラリア・アメリカの2010年の映画である。ふと、これまで行ったことのない映画館に行ってみたくなり、そこでたまたま「ギャガ・アカデミー賞受賞作品特集上映」の一つとしてこの作品が上映していたのに興味を持って、観るに至った。

 ネタバレで面白さが減るような部類の作品ではないので、これから観る人の参考にもなればと思う。近代のイギリス王室の史実が基なので、知ってる人からすればネタバレもクソもないが。

 

・吃音症に悩むイギリス国王の物語

 この作品は、タイトルにもあるように、一人のイギリス国王が国民に対してスピーチをするようになるまでの歩みを描いたものである。その国王とはジョージ6世(在位:1936-1952年)で、吃音症であったことが知られている。エリザベス女王の父にあたる。吃音というのは、話し言葉が滑らかに出ない発話障害のことで、程度は様々あるが会話中にどもってしまう人がまさに吃音症にあたる。

ジョージ6世 (イギリス王) - Wikipedia

 吃音症であるというのは、近代のイギリス国王にとっては深刻な問題であったようだ。馬に跨って威厳を示していればよかった中世とは異なり、「象徴としての国王」としての側面が強くなってきたと同時に、ラジオ放送が普及したことによって「国民に声を届ける存在としての国王」の重要性が増してきたためである。国王でなくとも、王族の一人としてスピーチをする機会というのは増えていたであろう。

 そのような時勢の中で、スピーチをする上で重大な問題である吃音症を抱えたジョージ6世は、ライオネル・ローグという言語聴覚士のもと治療を受けることになる。ライオネルの治療は独特で、歌うように話す・暴言を挟みながら文章を読む(暴言はスラスラと言えたため)といったような発声トレーニングが行われた。

ライオネル・ローグ - Wikipedia

 このような方法は、現代の我々からすれば普通に効果的であるように思えるが、作中では「独特な治療法」と呼ばれていた。これは当時の吃音症に対する医学的見地の不足や、ライオネル自身がオーストラリア出身のためにイギリス国内で「異端児」扱いされていたためと思われる。もしかしすると「独特」というのは単なる脚色かもしれないが。

 

・「国王」としてではなく、「対等な友」として関わろうとしたライオネル

 毎回の診療で、ライオネルはジョージ6世を王族としてではなく、「バーティ(ジョージ6世のあだ名)」と呼び、自身も「ドクター」ではなく「ライオネル」と呼ぶようにしていた。もちろん公の場ではジョージ6世のことを「陛下」と呼んでいたが。

 これは、リラックスした発声トレーニングをする上で「対等な友の関係」が重要であるとライオネルが考えたためではないかと思われる。先にも述べたように、彼の治療法は歌う・暴言を挟むといったものであり、「王族と平民」の関係のままではそれが行えない、行ったとしても違和感しかないと思ったのだろう。これは、単に治療を行うための理由だけではなく、最終的な本番のスピーチで「友に対してリラックスして話すように」するための効果を狙うためでもある。ライオネルはジョージ6世のスピーチの度に同席しており、友としての関係は生涯に渡って続いたことが伺える。

 ちなみに、ジョージ6世が診療室で暴言を吐きまくるシーンはかなりシュールなので、是非観てみてほしい。館内の他のお客さんも少し笑ってたぐらいにはおかしなシーンである。

 

言語聴覚士であると同時に、演劇俳優でもあったライオネル

 ライオネルは、言語聴覚士という医師の側面を持つと同時に、演劇俳優として活動もしていた。演劇俳優といっても、各種オーディションに落ちまくっていたため、俳優としてはほぼ無職だったようだが。

 ライオネルはジョージ6世の治療において、俳優の演技のようなハッタリ的な側面も施していた。例えば、「吃音で間が空いてしまう」というのを「間があった方が王の威厳ある言葉っぽくなるやん」と諭したり。

 このように、先の「友に話すように」という根本的な心理状態の解放に加え、パフォーマンス・演技としてのスピーチ技術も教えていくことになる。スピーチがパフォーマンス・演技の上で成り立つというのは、本質の一つを突いているように思う。結局その場で聞いている人々が心打たれれば、とりあえず勝ちなんだから。ヒトラーの演説とかが良い例である。

 ライオネルの指導していた演技に関して、ライオネル自身もまたジョージ6世に対して演技していた、というか演技によって隠していたことがあるのだが、それはまた別の話……

 

 この作品の閉幕は、第二次世界大戦勃発に対するジョージ6世の声明によって訪れる。その後も史実では彼はライオネルと共にスピーチをしていくのだが、物語としての「動乱の世をこれから背負う王の姿」での締めは非常に綺麗だと思った。

 

・おわりに

 「吃音症」という、恐らく誰しも一度は耳にしたことがある、しかし実際に会ったこはないか少ない事柄について取り扱っているため、分かりやすくて取っ掛りの良さがある一方、興味深い作品であった。

 私自身は吃音症への馴染みはあまりない。多少どもっている人はたまに見るが、日常生活に支障をきたすレベルには会ったことがない。私も他人と喋るときに時々どもってしまう自覚はあるが、それがどの程度なのかは知らない。あんまり他人としゃべらないからな……。どっちかというと、思ったことをその場で言語化するのが未だに超絶苦手。他人から見たらどっちでも同じどもりに聞こえてるのかも。自分語り失礼。

 

 変に着飾らない雰囲気に非常に好感を持てた。邦画特有の、冒頭にクソデカ文字のゴテゴテしたロゴを出すんじゃなくて、ちゃんと見える程度の大きさでシンプルに「The King's Speech」って書いてある方が良い。まあ、そういう雰囲気も、日本版にする上で置かれた「英国王のスピーチ」のクソデカタイトルで台無しになっちゃったけど。そういうのはアクション映画とかだけでやれ。

 もちろん、邦画でもタイトルの主張激しくない作品もあるが、傾向としては主張強めな印象。予告編でもそういう節があるから、本当にどうにかしてくれ。