A boiled egg

ぼちぼちいこか

PLAN 75 感想

 今日、「PLAN 75」という映画を観た。公開日2022年6月17日。

 



 

あらすじ

 少子高齢化が一層進んだ近い将来の日本。満75歳から生死の選択権を与える制度<プラン75>が国会で可決・施行された。様々な物議を醸していたが、超高齢化問題の解決策として、世間はすっかり受け入れムードとなる。(公式サイトのあらすじより)

 この物語の主人公であるミチはこの制度に申し込み、自らの死について考えることになる。

 

 

感想

 この物語中の「プラン 75」は、現実で言うところの安楽死、特に積極的安楽死の合法化と同義であろう。もし日本で安楽死が合法化されれば?といった趣旨なわけである。かなり際どいテーマを扱っていて、面白そうだなと思って観た。

 

 この制度を利用する物語中の人は、多くが「若い世代に迷惑かけたくないし」や「自分の死に際を決められるんなら幸せだ」などといった意見を持っている。

 しかし、この制度を利用して、高齢者は真の意味で幸せに逝くことができるのだろうか?と私は感じた。

 確かに、若い世代に迷惑をこれ以上かけたくないという気持ちも分かるし、自分で死に際を決められるというのもある種幸せだろう。でも、その死は「今ではない。ちょっと先の未来の話」と、老若男女問わず誰しもそう思っているのが一般的だと私は考えている。

 例えば、「〇歳まで生きたらその後ポックリ逝きたい」と言う人が貴方の周りにいると思う。私の周りにもそう言う人はごまんといる。その言葉の本質は、「〇歳まで生きたらそれで十分だからすぐに死にたい。でもその歳になるのはまだ先の話だから『今ではなく』、もうちょっと先の未来の話」だと私は思っている。そのような人が、実際その歳を迎えたら本当に死ぬであろうか?「少なくとも今ではない」と考える人がその歳に到達した所で、結局また「今ではない」と考え自死はしないと思うのである。理性によって、いつかは死にたいと考える一方、本能的な部分で、目の前に死がやってくることは遠ざけているのではないか。

 そういった意味で、この制度で真に幸せに逝ける人はおらず、また、そもそもどのような形であっても真に幸せに逝けることは不可能ではないかとすら私は考える。理性によって構築される、死ぬことによるメリットが優位に立っていたとしても、本能的な死への恐怖は少なからずあるのだから。まあそれでも死からは逃れられないから、どこかで折り合いをつけるしかないのだが。作中でも、死ぬための施設が近づいてきた途端嘔吐した人物がいたのが印象的で、やはり目前に死が迫ると拒否反応を示すんだなと感じた。

 

 

自分の立場になって考えてみる

 

 若い世代は高齢者が死んで色々と好都合なところがあるかもしれないが、その若い世代が高齢者側に立った時に、彼らも喜んで死ぬのかという問題もある。「この国の未来の為に」みたいな大義を主張するであろうが、それも根本的には自分にとって生きやすい国を作りたいという、詰まるところ自分の都合で高齢者に死んで欲しいと思っているのだから、いざ高齢者になったところで結局また自分の都合しか考えないだろう。現実で「高齢者死んでくれ」と言う若者が多いのは、実際に死ぬのは自分ではなく他人だからという側面も大きいと考えていて、そんな人が高齢者になったところで制度に反対するか、「(自分以外の)高齢者死んでくれ」と言うだけであろう。

 

 また、主人公は恐らく子供はいるがほとんど独り身みたいな状態で、75歳を過ぎても働いている。とある事情で仕事を辞めさせられた後、追い討ちをかけるようにマンションの退去命令を言い渡され、新居もなかなか受け入れてもらえず、生活保護の可能性も浮上してくる。他人事として見れば「生きながらえるのも無駄なんだからさっさと死のうよ」だとか「どうしようもないんだから生活保護受け取ってもいいでしょ」とか言えてしまうが、じゃあ貴方がこの立場に立ったら?という問題がやはり出てくる。主人公の置かれた立場は、若者に置き換えるならば、ニートになって肩身を狭く(新居を受け入れてもらえない)しながら親のスネをかじる(生活保護を受け取る)ことに似ていると私は思う。「私は現在ニートで肩身が狭いが、全然気楽に生きていけてる」という例外は置いといて、大半の人は耐えられないだろう。そこにさらに老いから来る逃れようのない死も加わるのである。そんな状態で「死ねよ」とか言われたら、確かに辛さで自殺するとは思うが、その死は絶対に悲しみに満ちたものになるのは明白だ。貴方はそのような死を望むのか?死ぬにしても出来るだけ幸せに死にたいはずである。そういった意味で、安易に高齢者を侮辱するのは危険である。もちろん同じ高齢者でも人によって経済状況に差はあるだろうから、この主人公の置かれている状況のみを使って議論を進めるのには問題があるのだが。

 

 

テーマに対するこの作品の答え

 

 さらには、この物語の終わらせ方にも訴えかけてけるものがあって、この制度や死そのものについて明確には答えを出していない。それっぽい感じで出してはいるのだが。そもそも「死ぬ」ということについての答えが難しい、あるいは無いというのもあるだろうし、納得できる答えは一人一人が自分で導くしかないというのもあるだろう。あえてこの物語の死に対する答えを言うならば、「分からない。自分で納得できるものを探すしかない」というのが答えであると考えている。私もこの考えには賛成で、それゆえ先で述べた、制度や死に対するあらゆる私の意見もまた正しいかどうか自分でも分からない。まとまりのない考えを書き連ねている自覚もあるし。

 

 

終わりに

 

 物語全体の雰囲気として、常に仄暗い描写だったのが印象的だった。死というものに対する恐怖がよく表現されていたし、場合によってはむしろ闇の中に小さな光が灯るような感覚さえ覚え、死生観に関する希望的な印象も私は感じた。

 

 少子高齢化のみならず、安楽死に対しても一石投じている作品であると思う。海外では実際に安楽死が合法化している国もあるし、決してフィクションではないと強く感じる点で興味深かった。

 

 ひたすら考えさせられる作品で、面白いとか面白くないで評価はできない。常時重苦しくて、考えさせられる作品が好きな人は、観てみる価値はあると思う。

 

 ちなみに、私が観た回では観客はお年寄りがほとんどだった。テーマからしてその辺をターゲットとしているのは明らかだし、参院選なのもあって本編前にどっかの政党(丁度劇場に入った瞬間だったので政党名は分からなかった)がCMしてたし。

 

神様の定食屋 感想

 「神様の定食屋」という小説を読んだ。全2巻。

 

 

 主人公は定食屋の店員の一人なのだが、料理が全然できないし客への気配りの仕方もできない人物なのである。そんなやつがどうして定食屋で働いているのかと思ったであろうが、ちゃんと理由はある。

 

あらすじ

 元々この定食屋は両親及び主人公の妹で切り盛りしていて、主人公は所謂社畜であった。あるとき、両親が不幸な事故に遭って他界してしまったため、店や妹が心配になった主人公は休職して定食屋の店員となったのである。

 しかし料理の作り方もさることながら、客への気配りの仕方も知らなかったので、事あるごとに失敗して妹に𠮟られる。どうにかして料理のコツなどを知りたいと悩んでいた主人公は、藁にも縋る気持ちで近所の神社にお祈りをしに行く。すると、突然神様が現れて、「願いを叶えてやろう」と言われる。

 その願いの叶え方の手段が、既に亡くなった魂と一時的に融合するというものなのである。簡単に言えば取り憑かれるのだが、元々の意識もはっきりと残るので、二重人格で両方の意識が同時に存在しているようなものであろうか。

 とにもかくにも魂に一時的に憑依させられるのだが、その魂には成仏する前に飯を食わせてやりたい相手がいる。それは自分の子どもだったり友人だったりと色々いるのだが、魂は主人公の体を借りて料理を作り、振舞いたい相手に振舞う。そして主人公は調理の様子を観察しながら、時に料理を振る舞われた相手と会話をしながら、料理のコツや気配りについて学んでいくのである。

 

 

感想

 人の死、及び死んだその人の遺志がどうであったか、さらには遺された者がその遺志をどう受け継いでいくのか、みたいな感じの物語なのだが、正直滅茶苦茶泣いた。元々そういう感じの物語には弱いというのもある。

 魂には若者から老人まで色々いて、生を全うして達観した人もいれば、死を理解してはいるものの微妙に納得してない人もいる。そして、料理を振る舞われる人、つまりは生前関わりがあった人の思いというのももちろん語られていて、二人はもう一緒に生き続けることはできないんだという切なさで、ぶっちゃけ脱水症状になるぐらい泣いた。さらには、魂の遺志と、それを生者がどう受け止めこれからを生きていくのかの尊さで、最終的に涙が出尽くして干からびた。オムニバス形式なので、ほぼ毎話干からびてた。

 タイトルに「定食屋」とあるぐらいなので、料理の描写ももちろん重要な部分で、美味そうな表現がいっぱいあった。個人的には特に揚げ物や肉料理あたりの描写でよだれが止まらなかった。そこまで料理はしないので、調理時の表現は適当に流し読みしてたのだが、知識少ししかなくても十分香りが漂ってきそうなぐらいには良かったと思う。

 

 

 この記事の最初に「小説」って書いたが、多分ラノベに含まれると思う。さっき調べて気づいたのだが、これ元はなろうなんだね。挿絵は一切ないが、言葉選びが軽い感じなので、やっぱベクトル的にはラノベって言っていいと思う。

 

 おわり。深夜眠れなくて暇で、ふと読了したの思い出して、急に思い立って書いた記事なので適当さは悪しからず。

 

映画「五等分の花嫁」 感想

 昨日、五等分の花嫁の映画を観てきた。公開日2022年5月20日

 



 

 原作はちゃんと読んでないが、ネタバレで誰がくっつのかは知ってたので、結末について特に驚くことはなかった。

 ただ、父親辺りのいきさつを忘れていたので、本当の父親が出てきたくだりでは驚いた。本当の父親がただのクソジジイだったのがめちゃくちゃイライラしたが、だからこそ今の父親のかっこよさを際立たせてるんやろうなって思う。

 

 2期以降キャラの描画がめっちゃ綺麗になってるので、みんな可愛いと言えば可愛いが、やっぱ私は二乃と三玖が特に好きかな。

 二乃は、とにかく自分の気持ちに素直になって猛烈アタックで突き進んでるし、だからと言って他者を悪い意味として蹴落とすような事はせず、あくまで他の姉妹には対等なライバルとして振舞っているのがとても好き。恋愛のあり方として真摯に向き合ってる感じがする。何処かの長女は見習ってもろて。二乃の四葉への「せめてもの抵抗として、背中を押してあげたりなんかしない」みたいな感じのセリフは彼女を端的に表してるようでめっちゃ好き。

 三玖も、二乃に負けじとアタックしているという点で似てるので、同じような理由で好き。三玖単体で言うならば、引っ込み思案な所から積極的になったというシフトチェンジがマジで推せる。てか、二乃と三玖の良きライバル関係とても好きなのよね。エピローグで2人で店経営してたし、まあ完全にそういう立ち位置なんだろうなってのはすごく感じた。

 

 五月のくだりでの風太郎の「理想を追い求めて母を追うのと、母を追い求めて理想を追うのは別物」ってのは確かにそうだと思って感動したし、四葉が踏み切れずにいる所も切なかった。ただ四葉が多少くよくよし過ぎてて少し苛立った所も少しある。

 

 感想としてはこんなところかな。まとめると「みんな可愛かった」しか出てこない。ちなみに二乃の「ラブ☆バケーション」では、高まり過ぎて映画館破壊しかけた。

 

蛇足

 ラブコメの性として誰がくっつくかのifルートの妄想は付き物である。それを公式として出す作品もあるけど、それはやっぱそれは違うんよな。ラブコメは恋愛ものであると同時に群像劇でもあるのだから、付き合えなかったヒロインがそれをどう乗り越え、その後の人生を歩むのかってのも重要だと思っている。確かにifで推しの幸せな姿を見たいというのはある意味同感だが、それに囚われるというのは人生観の視野が狭まっていて愚かなように私には思える。まあこれは「ぼくたちは勉強ができない」で炎上した件を思い出しての事なんだけど。ifはあくまで二次創作の範疇であって少なくとも公式でやるべきじゃないんよな。公式でやらかすのは、恋愛及び、生まれてから死ぬまで一本道である人生に対する冒涜ですらあると私は思ってるぐらいである。

 

大河への道 感想

 今日、「大河への道」という映画を観た。2022年5月20日(金)公開日。


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 本当は五等分の花嫁の映画を観るつもりだったのだが、ネット予約とかしてなくてあいにく完売してしまったので、別に気になってた映画を観たという具合である。

 

  • 概要

 

 この映画は伊能忠敬をテーマとしたものではあるが、彼が亡くなる所から物語は始まる。彼は初めて正確な日本地図を描いた事で有名だが、彼の死の時点では地図はまだ完成してなかった。地図作成には莫大な費用がかかっていたため、本来なら彼の死によって打ち切られるはずだが、伊能忠敬測量隊らによる死の隠蔽により、作業は続行される。この映画は、伊能忠敬の死がどのように隠蔽され、どのように日本地図は完成したのかを描いた作品である。

 

 また、この作品のもう1つの主軸として、伊能忠敬の現在の生まれ故郷で、伊能忠敬をテーマとした大河ドラマを作ろう!という役所らの奮闘もある。だが、先に述べたように、伊能忠敬は地図の完成を前に死んでしまっているので、地図完成の所まで描写しようとすると伊能忠敬測量隊らが主人公となる大河ドラマになってしまう。一体どうすればいいんだー!っていう苦悩があるわけである。タイトルの「大河への道」は、「(伊能忠敬をテーマとした)大河(ドラマ制作)への道」と言えよう。

 

 伊能忠敬の死後に地図が完成したっていうのは自分の記憶にもなんかうっすらとあるが、多分中学の社会の資料集かなんかに載ってたんだと思う。

 

  • 感想

 

 アニメじゃない映画を観たのは割と久しぶりなので、新鮮な気持ちで観れた。テーマとしては大河系だが、現代の描写があるのとコメディタッチであるのとで観やすい感じだったのもあり、とても楽しめた。コメディ系時代劇は(そんなに観たことないけど)結構好き。のぼうの城とかも面白かった記憶があるし。

 

 江戸時代側と現代側で役者が被っているのだが、まあ恐らく前世だとかデジャブ的なエモさを演出したいんだろうなって思う。現代の彼らの前世だったらいいね〜ぐらいの雰囲気なのでそんな気にしなくてもいいんだろうが。

 

 どのように測量してどのようにそれを地図として落とし込んだかの説明が軽くされてたが、そんな難しくなかった。なんなら似たような事を大学のルートマップ描く実習でやったので勉強し直せばできると思う。まあ日本をぐるっと歩き回らないといけないので厳しいが。

 

 伊能忠敬のみならず名もない測量隊員らの努力もあったからこそこの偉大な地図があり、伊能を偉人たらしめたと考えると、とても感慨深いものであるなと感じた。名もない英雄的な話大好きなので。

 

 

 

 コメディ系時代劇作品のモチベ少し高まったので、なんかおすすめあれば教えてください。

 

〆切前には百合が捗る 感想

 「〆切前には百合が捗る」というラノベを読んだ。既刊2巻。

 

 

 作品名通り、百合作品である。主人公はLGBTのうちレズビアンで、地元の高校の友人や家族にそれを打ち明けたところ拒絶されてしまい、耐えきれなくなって家出し、親戚を頼って東京までやってきた。その親戚はラノベの編集者であり、その担当作家に主人公が恋をする、といった感じの物語である。

 

 知ってる人は知ってると思うが、この作品は「妹さえいればいい。」のスピンオフ的な立ち位置である。確か元々は、妹さえのあとがきで作者が「次回作あるいはスピンオフでのタイトル候補あるんですけど、どれがいいですかね?」みたいな感じで挙げられてたうちの一つだった気がする。

 

 スピンオフではあるが、妹さえは読んでなくても全然OK。妹さえとの共通の登場人物として白川京(本作での主人公が頼った親戚にあたる。従姉妹の関係)がいたり、その他の妹さえの登場人物が伝聞の形で出てきたりはするので、読んでたら読んでたで感慨深く感じるものはある。が、メインの登場人物はほとんど本作初出だし、百合作品として読む分には必須ではない。

 

 この作品は度々LGBTに関する用語を使うので、少し現実的で重い感じなのかなと思われるかもしれないが、案外そんなことはない。性的マイノリティとして考えなければならないこと、割り切らなければならないこと、乗り越えなければならないことみたいなのは勿論描写されているが、基本的には「世間体なんか気にせずに、お互いがしたいようなやりたいような恋愛を気楽にしていけばいいじゃん」みたいなスタンスである。遊んだり旅行行ったり美味しいもの食べたりっていう場面が多く、明るくて楽観的な印象を私はこの作品から感じているので、このように思うわけである。

 

 そんなに大きなシリアスイベントもなく、2人の女性が出会い、恋人関係になり、共に楽しく過ごす、という感じなので、重苦しい百合を求めてる人には向かないかもしれないが、日常系百合作品を読みたい人にとっては良いかもしれない。主人公家出してるので、そこに関わるシリアスイベントは通らざるを得ないが。

 

 とりあえず2巻で終わりということらしい。作者のやる気と売り上げ次第で続きが出るかもしれないらしいが。

 

バブル 感想

 少し前に、「バブル」というアニメ映画を観た。netflixで先行公開されているものを私は観た。

 

 

 まあ正直言って、あんま書くことはない。作画がきれいだったなーとか雰囲気いいなーってぐらいのもの。見る前は、あらすじ読んでSFっぽいし、脚本虚淵だから「PSYCHO-PASS」とか「楽園追放」みたいなのを期待していたのだが、SF設定みたいなのは結局詳しく説明されないまま終わってしまった。端的にまとめれば、「雰囲気SFアニメ」ってところだろうか。

 

 虚淵だからって言って勝手に期待し過ぎて勝手に失望したのは自分なので、SF要素の説明の甘さはまあ良いだろう。キービジュにも「ストーリーがおもろい!」じゃなくて「圧巻のグラビティ・アクション」ってよく見たら書いてあるし。アクションは迫力あってかっこよかったし、液体や泡の描写は割ときれいだったので、単純に眼で楽しむ分には十分面白い作品なんだとは思う。

 

 ところで、所々の描写で「A.I.C.O. Incarnation」(2018年のnetflix独占配信アニメ)みがある演出とか絵の色見みたいなのを感じたんだけど、あれってバブルとアイコで一部スタッフが共通してるってことなんかね。Wikipediaで確認した限りはそんなことなさそうだから、気のせいかもしれないけど。バブルもアイコもどっちもnetflix独占配信だからっていうのも考えたけどあんま関係なさそう。

 

シン・ウルトラマン 感想

 シン・ウルトラマンを公開翌日に観てきた。公開日2022年5月13日(金)。

 

 ちょっとネタバレあるかも。

 

 

 はじめに断っておくが、私はウルトラマンは全然詳しくない。ウルトラマンが光の巨人という地球外生命体であるとか、地球上で数分間しか活動できないだとかぐらいしか知らない。

 じゃあなんで観に行った?って言われるだろうが、それはひとえに庵野秀明の作る映像が好きだからである。エヴァの頃から庵野の世界観(正確に言えばカメラワークやテンポ等の映像の魅せ方の技術)が好きで、それ目的で観たといった具合である。まあ監督は庵野ではなく樋口真嗣だが、企画脚本が庵野だからそれなりには庵野ワールド感じられるやろって思って劇場に足を運んだ。シン・ゴジラの時も、同じ理由でゴジラ全然詳しくないけど観たし。

 

 

 まず率直な感想を言えば、普通に面白かった。ここオマージュやんけ~だとかあのシーンそのままやんけ~だとかは当然分からないので、単純にアクション映画、ヒーロー映画、あるいは社会派SF映画として観たが、私は十分に満足できる作品だと思った。ただ、シン・ゴジラの方が個人的には好みだなとも思ったのも正直なところである。

 というのも、シン・ゴジラのようなドカドカと飽和的に攻撃を繰り返す子気味のよさや攻撃作戦の状況による分岐や手順の複雑さが、未知との戦い(つまりここでは禍威獣)に対する私の好みなのである。正確に言い換えると、次から次へ、目まぐるしく変化していくその混沌さが好きなのである。シン・ウルトラマンはテーマ上当然「ウルトラマン」という一人のヒーローと敵との対峙という、割とシンプルな構造になってくるので、少なくともゴジラほどの混沌さは感じられなかった。まあ禍特隊が色んな作戦考えたり自衛隊が加わったりだとかの、ちょっとした混沌性というか社会派作品的というか、そんな感じのやつはまああったけどね。

 

 

 だがそれでも、ウルトラマン禍威獣との戦闘はそれら抜きにして単純にかっこよかった。スペシウム光線なんて、ウルトラマンちゃんと見たことないにも関わらずガキの頃散々真似してたから憧れは当然あるし、巨大な生物同士が空飛びながら禍威獣と戦ったり地上で肉弾戦したりなんてのも少年のロマンである。

 ザラブ星人メフィラス星人と日本の条約締結も、大した感じではなかったが社会派SFみがそれっぽくあったのも、社会派SFに興味を持つ私としてはまあいい感じなんじゃない?(上から目線)って印象だった。

 

 

 庵野ワールドは、シン・ゴジラほどではなかったが、まあ普通に感じられた。一応監督は樋口真嗣だしね。

 セリフを緩急つけずに一定のテンポで次々と流していくところとか、場面やセリフが区切りを迎えると間髪入れずにカメラを切り替えるせわしなさが、それっぽいなーって感じだった。浅見弘子の本部への初出勤の通勤時の描写とかは、エヴァの日常パートみを画からも音楽からも感じられた。てかあの音楽、エヴァの「MISATO」を滅茶苦茶いじった雰囲気じゃねって思うのは私だけか?

 

 

 本作は、終盤までは基本的に平坦さを感じた(それでも十分面白かったしワクワクもしたが)が、終盤に一気に盛り上がってきたという感じだった。滝くんが、職場でストゼロ飲んでたけど神永が残したUSBメモリに気づいて中身を見てから~の所が、最終局面に向けたターニングポイントになってて、凄い燃えた。諦めかけていた人類が、一つの希望の芽を見つけ、それを開花させようと必死であがくの、とても熱い展開でイイね。

 最後のゼットンへの殴り込みの時、画面下に残り時間が表示されてて割とシュールさは覚えたが、決着が差し迫っているんだというのが直接的に感じられて、ハラハラドキドキで楽しかった。

 

 

 最後、ウルトラマンが自分の命を捧げて神永を甦らせるシーンも感動した。まずあそこで「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン。」キャッチコピーを回収してたし、神永が目覚めた時にメンバーのみんながそこにいるっていうのが、もう友情の象徴って感じで最高なのである。その点に関しては、そもそもゼットン倒しに行く前の神永と浅見の微笑みの時点で十分エモいんだが。

 

 

 あとは、ウルトラマンが空飛んでる時とかブラックホール的なのに吸い込まれるシーンとかのウルトラマンの動きが、人形を吊して撮影するという特撮の撮影手法を意識してるんやろなっていうのを感じた。うまく言えないけどなんか良かった。

 

 

 本作を見て庵野がどれだけウルトラマンが好きかを判断するのは、ウルトラマンにわかですらない私は到底無理だが、正しくウルトラマンオタクな友人からすれば「お前は分かってる!お前は本当にウルトラマン大好きなんだな!」ってことらしい。で、過去のウルトマランの色んなおいしいシーンの引用めっちゃしてるって感じらしい。シン・ウルトラマンの各シーンの元ネタ動画とか見せてもらったが、割と丸パクリ正確に再現してて、確かに大好きなんやろなあと思った。

 

 

 つまりまとめると、本作はウルトラマンオタク庵野秀明のオナニーであり、他のウルトラマンオタクにとっても気持ちよくなれる作品であり、ウルトラマン詳しくない人でもアクション映画としてそれなりに楽しめる、win-win-winな感じの作品だった。もちろん2番目の人は解釈違いで暴れ狂う可能性はあるし、3番目の人はオマージュ何も分かんなくてアクションも刺さんなくて神永がなんでウルトマランなのかも理解できなくてつまんな~いになるかもしれないが。まあ「ウルトマラン」が作品名に入ってる時点で、特撮の雰囲気刺さらない人は来んなって話だから最後は無視していいか。相当バカじゃなければ神永の経緯も理解できるような説明してるし

 

 

 ウルトラマンオタクではないって何回か言っているように、クソデカ感情を抱くのはそもそも無理だから、書けるのはこんなもんかな。

 クソデカ感情抱いてる部類の人で、「それは違うよ!」って解釈あったらご一報ください。話は一応聞きます。