A boiled egg

ぼちぼちいこか

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 感想

 タイトル通りシンエヴァのネタバレが沢山あるので、シンエヴァ視聴後の閲覧をおすすめします。

 

 

 

 

 ヱヴァ序の公開から約13年半、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」が遂に終劇を迎えた。私は新劇場版から入った口であるから、アニメからのファンにとっては浅いと言われるかもしれないが、思春期真っ只中にハマったこの作品は、言わずもがな私自身に大きな影響をもたらした。

 家族の話によると、私がエヴァにハマったきっかけは、序がレンタルしたてほやほやの時(2008年)に父がそれを借りてきた事によるものだという。その時は私は小4だった。当時私は、世界を救うという重い役割を担わされたシンジに強く共感した。今となっては、できないだの無理だのとぼやくシンジにイラつくような年齢と人生経験を重ねてしまったわけだが、あの頃の自分は辛いながらもエヴァに乗るシンジを本当にかっこいいと思っていた。

 そこから約13年、エヴァと決別しなければならない時が来てしまった。

 

 

 

前半は「他人サイコー」後半は「親子喧嘩」

 前半では、結構長い尺を使って、シンジが立ち直るまでの様子を描いている。正直、3日連続で観に行った時の3日目は少し退屈で眠かった。シンジが他者の思いやりに触れて徐々に元に戻っていき、遂には父親と会話しようと思えるほどまでにメンタルが強化されたのは、ひとえに他者との協力なしでは生きていけない第三村の生活があったからではないだろうか。第三村の生活を通じて「他人がいるというのもいいもんだ」とシンジの心境が変化し、後半に活きてくることになる。

 

 後半では、心象世界でシンジとゲンドウがタイマンで戦うという展開がやってくる。人類補完計画だのなんだの言ってるが、結局ただの親子喧嘩であり、出てくるワードが旧劇と所々違っているものの人類補完計画自体も親子喧嘩も旧劇とやっている事は大して変わっていない。

 ただ、旧劇と決定的に違うのは、「親子喧嘩」、ひいては「親と子について」に重点が置かれている。旧劇ではシンジが他者と関わりを持ちたいか否かがラストの重要な要素であるが、シンエヴァでは前半でそれの結論は出ている。やっている事がほぼ同じならば、旧劇で不完全だった親子の関係についてやるのは当然の流れであるだろう。

 シンジはシンエヴァの前半で完全にメンタルが回復して、父と話がしたいとまで言うようになっている。しかし、ゲンドウはそんな息子との距離感が最後の最後までつかめないまま突っ走ってしまい、ゲンドウの計画も失敗に終わった。ユイの居場所に最後は気づけたっぽいので、ある意味救われたとは思うのだが、ユイを取り戻せないまま、自身もコミュ障から成長できなかった彼は、やはりどうしても報われない人間ではあっただろう。妻を見つけるためには、妻に身近な人物に目を向けるべきだということだったのだろう。身近な人間と言えば、真っ先に「家族」という言葉が思い浮かぶ。「家族は縁でつながっている」というようなセリフがシンエヴァでは何回か出てくる。そこに気づけず、他者との関わりが下手なまま変われなかったのがゲンドウの敗因のように思える。他者との関わりを捨てたくて人類を一つの生命にして、その中からユイに会いたかったのに、そのユイは他者(シンジ)の中にあったというのは何とも皮肉なことである。

 

 

 

エヴァ」という世界からの決別

 この映画で一番伝えたい事は、やはり「エヴァとの決別」、この一言に尽きると思う。これはエヴァの登場人物だけではなく、庵野にとっても、我々ファンにとってもだ。

 

 シンエヴァの第13号機と初号機との対決やパイロット達の補完の場面の背景の演出で、映画や舞台、ドラマのような舞台のセットが多様されたのは多くの人が印象的であったと思う。アニメのラストを思わせる演出であったのも、多くの人が感じたはずである。この舞台装置が、第13号機対初号機の場面では壊されてゆき、パイロットの補完の場面では彼らがそこから退場していく。これは「エヴァ」という舞台、つまりは世界との別れ、決別、終焉を表していることに他ならないと考える。

 

 アニメの方では、舞台装置を壊すとかそこから誰かが退場するといったことはなかった。あくまで彼らはエヴァという舞台に残り続ける。この作品の言葉を借りるならば「エヴァの呪縛」に囚われ続ける結末を迎えたと言えるだろう。

 

 しかし、シンエヴァではそれを否定し、エヴァに完全なる別れを告げるという回答を示している。電車の描写にしても、一人、また一人と電車から降りていくのは、エヴァという敷かれたレール(物語)から退場していくものと取れるだろう。

 さらには、新劇場版でアニメ版の映像を使っていたところから、本当の本当に全てに別れを告げるつもりなのだろうという強い意志が伝わってくる。原点との決別、これはもう卒業式と言っても差し支えないだろう。

全てに決別するつもりなら、せめて貞本エヴァも入れては欲しかったが、まあ言い出したらスピンオフとか大量にあるし、マリの件を回収してくれたので良しとしておこう。

 また、シンジとのカップリングがマリという予想外の人物であったことも印象深かった。アスカやレイでは、これまでの繰り返しになってしまうから、終わらせるためには第三者に手を引かれる必要があった、ということだと考えている。アスカが好きな私にとっては、アスカとケンスケのカップリングにもかなり驚かされたが。

まあアスカが幸せになってくれるならそれでOKです。

 とどめにシンジのラストのセリフの声優変更である。最初観たときは、「緒方恵美ってこんな声出せたっけ?」って思ったが、数秒後に違う声優だと確信したし、スタッフロールが確信の裏付けになった。作品の看板である主人公の声優さえもエヴァから退場するという徹底っぷりには流石に度肝を抜かれた。

 また、最後の実写で出てくる宇部新川駅は、庵野秀明の出身地の山口県宇部市にある。「エヴァのない世界」のセリフ通り、庵野も生まれた場所、エヴァができる前の現実に帰ったのだろう。

 

 登場人物もエヴァから決別し未知の世界に行き、庵野も元居た現実に戻りエヴァを作る前の人生に戻る。我々もそうしていくべきなのだろう。

 

 

 

余談 エヴァを考察することは本当に無意味なのか

 アニメ版や旧劇の頃からさんざん言われていることの一つに、「庵野はストーリーなんて深く考えてないから聖書とかから考察しても無駄」がある。これは果たして真であろうか?

 確かに、「『庵野は』こういう意味でこいつにこの名称をつけたんだ」というのは無意味だと思う。庵野はそんな深いこと考えてないというのには同意するし、万が一考えてたとしても庵野は答えてくれなさそう。万が一とは言ったが、その可能性は確実にないと思っていて、それはパンフレット等を見れば明らかである。

 例えば、シンエヴァのパンフレットを買った人は2ページ目の庵野の表明を読んで欲しい。追求する面白さが列挙されている一番下に脚本や物語の面白さがあるのである。上位にあるのは画面や音響効果としての面白さである。一概にこの順番で決めることはできないと思うが、それでも物語としての面白さの立ち位置が後ろに追いやられている。表明を読めば分かるので実際に読んで欲しい。

 そんな感じで、「庵野はどういった意図でこの設定を?」は考えるだけ無駄である。答えである庵野は、映像の流れの中のリズムの一要素としてそれっぽいのを置いてるだけに過ぎないと思うので。

 しかし、庵野は特に何も考えてないから、で考察せずに思考停止してもいいのだろうか。

 

 例えば、我々のいるこの世界を作った神がいるとして、その神はなんとなく宇宙を作り、太陽系を作ったかもしれない。太陽系がどのような過程で出来たかは現在もはやぶさ2などの探査機で、初期太陽系の情報を持つ小惑星に関する研究が行われているが、そこには意味がないかもしれない。ポンと今の形状の太陽や地球を置き、それっぽい小惑星を置いたに過ぎないかもしれない。それが仮に真実ならば、どのような過程で太陽系ができたかのモデルを考える事なんて、無意味なんじゃないかと思える。

 だが、実際は無意味なんてことはなく、熱心に研究が行われている。そもそも神だとかそういう話が研究者の間で前提として存在しないというのもあるが、仮に前述の話を前提にしても、研究をしないという理由にはならないと思う。

 理系の学問は全般的に神の意図とかどうでもいいように思っていると私は感じている(あくまで私のイメージだが)。神がどんな意図で世界を作ったとしても、そんなのは知らなくて、ただ目の前にある事象がどうなっているかの事実を知りたい、その事象の意味は神にとっては意味のない事だが、現実での意味を見いだせればそれでいい、といった感じだろうか。かなり思考が偏っている気がするので、全ての理系学問の学問体系がこの考えに則っているとは思わないが、根幹はこれに近いと思っている。

 

    話が逸れたが、これをエヴァに当てはめると、神である庵野がなんとなく置いた設定やオマージュは、エヴァという世界の中だけで観測すれば、ちゃんと意味を持って機能しているということにならないだろうか。本来の楽曲の意味と場面の整合性がよくわからないシーンや、特殊な演出なども、エヴァの世界の中ではしっかりとした意味があるのではないだろうか。その意味や関係性を見つけようとしているのが考察班である。

 実際の現実の研究と比べて、非常に限られた情報しか得られないという、物語の持つ性質上、確固たるものに到達することは不可能であるが、エヴァの世界がどうなっているのかという興味関心は、「庵野何も考えてない」で一蹴されるべきものではないと思う。あと単に考察は楽しい。

 

 

 

もっとどうでもいい余談

 アスカが好きだったのは先述したが(中学ぐらいまではレイ派だったが)、前半のジャージ姿のアスカめちゃくちゃ可愛かったので、フィギュアとか出してくださいなんでも(ry

 やさぐれた感じのアスカ、Qではなんかうざかったけど、日常の中だと割と好きになった。ツンデレに見えなくもない(錯乱)。

 できればアスカのその後の幸せな日常をスピンオフ漫画とかで出してくれると泣いて喜ぶかもしれない(エヴァの呪縛から抜け出せないオタク)。