A boiled egg

ぼちぼちいこか

図書迷宮 感想

 MF文庫Jより刊行されているラノベ「図書迷宮」を読んだ。

 

 500ページ近いので、まず本の見た目からして威圧感がすごい。それなりに分厚いラノベを読んだので、今なら中身の薄い普通の厚さのラノベ一瞬で読める気がしてくる。

 

 読後感としては、恋愛を最終目標とした話としてはまあ妥当な終わり方かなって感じ。私個人としてはモヤモヤした終わり方のある話の方が好きなので、主人公とアルテリアをメタ的にも本の中のフィクションとしても運命的に分断させるような何かが欲しかったところではあるが。

 

 この物語の真の筆者(シナリオライター)が誰か、いつから別の筆者による陰謀の執筆が始まったのか、主人公の立ち位置、それらはどのような関係で絡み合っているのか等々、読み終わった今振り返るとかなり混乱している。記憶改竄させる、させられるの関係もややこしく、特に聖堂の記憶改竄による策略の時系列が難しい。単に私の理解力が乏しいだけだと思うが。この辺は誰かと確認し合いたいので、読んだ人と考察含め語りたいところである。

 

 

 さて、この物語でも触れられている「フィクション」についてだが、「真実はどこにある?」「あなたが現実・真実だと思い込んでいるものが本当にそうである確実な証明はできるか?」「全ては誰かに綴られた虚構ではないか?」というような事を問いている場面があった。それらは「自己矛盾のパラドックス」等々を引用して語っていて、物語的には大方主人公を陥れるための言葉責めの文句として機能していたわけだが、私たち読者にも語りかけている意図もあるのは間違いないだろう。

 少なくとも、この「図書迷宮」のシナリオの全容が虚構であることを私たち「読者」は知っている。私たちが生きる「現実」にはこの物語は存在していないのだから。

 しかし、同様に私たちの生きる「現実」が真の現実である保証もない。この世界の外部に、全生命視点から綴られた本が存在している可能性は、概念的に考えれば全く有り得ない話ではない。そして、その外部の世界さえも現実かどうかは……(ry というような、無限後退が発生する。このような事態の解決には、どこかで終着点を無理矢理にでも決める、つまり「ここが現実である」という公理を決めなければならない。誰にも何にも覆せない真の現実は概念的に考えて決定する事ができないのだから、このような妥協点を作る他ない。

 逆に言えば、この作品の中を生きる登場人物にとっては、この作品の中が公理的に決められた現実であるわけである。作中の中の虚構に閉じ込められる等の展開はあるが、恐らく最後のシーンとかがその「現実」に当たるのではないだろうか。「これは現実か?虚構ではないか?」ではなく、「これは現実なんだ、そう決めることとする」という事が、虚構に関する無限後退の問に対する答えだと私は考える。

 

 悶々と哲学的な事を考えるのは私の性に合っているから、たまにこの手の作品を読みたいと思えるんだよな。一方で考え続けるとまとまりがつかなくなってくるのも性で、特に文章化するとそれが顕著になるのでこの辺にしとこうか。

 

 

 これにて500ページに及ぶ恋物語は読者である私及び主人公達の手によってハッピーエンドを迎えた。とても興味深い作品であった。

 物語のギミック的に続刊作るのは相当難しそうだし私的にもこれで十分満足かな。メタフィクションを中枢に携えた物語は一般的には続刊の難しさが短所になるが、1冊にテーマが濃縮されるのでメタフィク大好きっ子の私としては大いに長所である。