A boiled egg

ぼちぼちいこか

虚構推理 Season2 感想

 2023年冬アニメの「虚構推理 Season2」を見た。

 

 一期に引き続き、二期もオムニバス的な形式なので、前の話をあまり覚えていなくても問題ないのは助かる。アニメを見てからその内容を忘れるまで一ヶ月程しかかからない、忘れっぽい私にぴったりの形式である。六花が誰で、どんな奴なのかとか、マジで覚えてない()

 ともかくオムニバスなので、二期全体というよりは個々の話の良し悪し、好みか否かで評価するしかないのが、この形式の良くも悪くもなところである。作品全体に目を通した評価をあまりしなくてもいいという点では、結構楽で私は好きなのだが。

 個々の話で、この話は嫌いだ、というのは特になかったが、好きだった話は一つ挙げるとすれば雪女の回だろうか。普通に雪女の見た目が可愛いと思ったし、かなり俗っぽい価値観を持ち合わせ、実際に俗世に降りてくることもあるというのが、浮世離れしたイメージを持たれがちな雪女とのギャップがあって良かった。人間の男とともに夜の営みを是非ともよろしくやってくれ。

 岩永琴子の、性に関する色んな生々しい発言は、彼女がただの人間でもあることを表すものとして働いていたように思う。琴子は、一つ目一本足の知恵の神として妖怪たちに頼られている。そう、彼女は神であるから、もし完全な神にされていたならば人間的な性質は持ち合わせていないことになる。しかし、彼女の性に関する生々しい発言は、その根源にある人間の生殖本能、即ち人間的な性質を彼女がまだ持ち合わせていることに他ならない。作中で普通に語られていたような気もするが、妖怪たちにとって、俗世との仲介役として彼女には人間的な部分も残さなくてはならず、俗世と浮世離れにそれぞれ片足を突っ込んだ存在にしないといけなかったってことだろうと思う。完全な神にしてしまったら、俗世との未練が消えて完全に妖怪側に立ってしまい、仲介役として働いてくれなくなるだろうからね。

 話は大きく変わるが、「虚構推理」というこの作品、かなり屁理屈じみた展開で進んでいく作品なんだな、というのを二期を見始めてから強く感じるようになった。多分一期の頃から屁理屈じみているのは同じだったのだろうが、二期になってから特にそれを感じるようになった。多分、私の中での作品に対する「慣れ」のようなものが生まれて、それで見方が変わったんだと思う。

 ただ、屁理屈じみているが、それがこの作品のテーマでもあるんだと思う。この作品は事件の真相究明の物語ではなく、あくまで俗世と妖怪たちの秩序をあるべき姿に維持することに努める物語である。他者をとにかく納得させられれば秩序の維持は為されるわけなので、毅然とした理屈は必ずしも必要ではなく、屁理屈でもなんでも納得させられれば勝ちというわけである。人によってはここが引っかかって、この作品を好きになれない人もいるだろう。私も二期で引っかかりを覚えたし、私の姉も一期を数話見たらしいが、姉に至っては一期の時点で屁理屈さが嫌に感じたらしい。

 

 最終話のうなぎ屋回は、一話余ったから全然違う適当な話で埋めました感をどうしても覚えてしまう。が、そもそもの形式がオムニバスなので特段気になることもなかったが。まあ、こういった形式の作品を締めくくる回として、琴子の有り様を象徴したセリフを、丁度いい感じの話に組み込んで言わせたかったのだろう。